まずは叡山電鉄で一乗寺駅へ。

(一乗寺駅はのんびりした無人の駅でしたー)

ここからは 東の山裾を目指します。(↓へー「宮本武蔵史跡案内図」だって。/金福寺へはこの地図の「一乗寺下り松」まで行って南へ~ だなー)

山までそんなに距離はなさそう。

---シーン抜け---
「一乗寺下り松(サガリマツ)」まできました。


金福寺は ここを右手(南)へ、ね。

辻辻に立つしるべに従って進むと・・・

やがて

石段下に「佛日山 金福寺」という寺名が彫られた石の立つお寺が見えてきました。

(こちら_684年の創建時は天台宗の寺院でしたが、江戸中期よりは臨済宗南禅寺派となっているそうです)
おじゃまいたします。

受付で拝観料400円を納めると、蕪村ゆかりの品々や 蕪村が再興した芭蕉庵の見学、蕪村のお墓へのお参り ができました。

(建屋内には音声ガイド機があり、蕪村の絵や書 木彫の像等について丁寧な説明を聞く事ができました。/ 来るまで知らなかったのですが このお寺は_ 井伊直弼のために働き 安政の大獄で直弼が殺された後は「三条河原で三日三晩の生き晒し」という処罰を受けた村山たか女が 許されて後に尼となった場所だそうで、彼女ゆかりの品も見られました。)

(↓ミケちゃんもいましたー)

一段高い場所に建てられている 芭蕉庵も覗いてみました。

元禄時代、 寺の中興の祖 鉄舟和尚が結んでおられた庵(イオリ)に かの歌人芭蕉が滞在した事があったそうです。鉄舟和尚は 共に風雅について語り合った客人芭蕉を偲び、自分の草庵を「芭蕉庵」と名付ました。/ それから約70年の後_ 芭蕉を敬愛する与謝蕪村が 芭蕉の足跡をたどってこの地を訪ねましたが 芭蕉庵はすでに荒れ果てていました。それを残念に思い、蕪村は庵を再興します。それが 今ある芭蕉庵の原型、だそうです。

蕪村の墓は 芭蕉庵から 少し山を上った所にありました。墓所からは京の街がよく見えます。

(高浜虚子の「徂く春や京を一目の墓どころ」は この辺りから見た景色を詠んでいるらしいー)
↓近くに 山の形の記された絵地図がありましたが さっぱりどの山が何山なのかわかりません^^;)

↓左大文字、ですねー

↓これは舟形ー

改めて絵地図を見る・・・。やっぱりよくわからない^^;)(舟形の左が高尾 右は峰山? 奥の、上がポコっとしてる青い山が愛宕山ですかね?)
いやいや それにしましても_
金福寺、色んな物が見られ 大変勉強になりました。お訪ねしてよかった。
さて この後は詩仙堂へ~ (つづく)
<よだん>
一乗寺 には 一乗寺がある、のかと思ってましたが はるかな昔になくなっていたんですねー。(南北朝の頃まではあったようですが・・・) でも地名として残っていて 駅名にまで使われているんだ。すごく大きなお寺だったのでしょうか?