智積院(チシャクイン) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(鴨川べり散策に続いて_)
五条から東大路(ヒガシオオジ)を南へ歩いていくとー
やがて智積院の土塀が見えてきます。

七条通とぶつかるT字路には「総本山 智積院」という寺名が刻まれた石の立つ総門があります、が 参拝者はもう一つ南の入り口から境内に入ります。

ひ・・・広すぎる南の入口_。(何を撮ってんだか自分でもよくわかりません^^;)

アプローチの先の冠木門(カブキモン)を潜って・・・

道なりに行くと (因みに参道は鉤型路になっていました。城下町ではよくある造りですが、お寺には珍しいような・・・) 正面に金堂が現れました。

が、先に絵とお庭を拝見しましょう。
(金堂への石畳の道を左に折れた所に 拝観受付建屋がありました。/因みに拝観料は収蔵庫と名勝庭園がセットになっていて500円でした。)

まずは収蔵庫へ
 - - - シーン抜け  - - -
国宝の障壁画は長谷川等伯やその一派の手になるもの。本物を間近に見られ静かに感激。
(絵には何か所か不自然につぎはぎされてる箇所がありましたが、これは江戸時代に寺が火災にあった事と関係があるのでは と考えられているそうです。 又、そもそもこれらが飾られていたのは智積院ではなく 隣接していた別寺院_ 秀吉が三歳で亡くなった鶴松のために建てさせた祥雲寺だったそうで、 しかも智積院の元寺院は秀吉に焼き払われた根来の寺で~ ・・・ 。
頭がこんがらがりそうですが_
色んないきさつ 偶然 が重なって今ここにある絵だ という事がわかりました。)

続いては講堂前を通り・・・

(五色幕が架けられている・・・。晴れの日 っぽいけど特に行事が行われている様子はありません・・・)

お庭の方へ。


書院の縁から池越しにお庭を眺める。

傾斜地に ぽんぽん と丸く刈られたツツジが植えられています。 

頂いたリーフレットによると「利休好みの庭」で「中国の廬山を模って造られています」だそうです。(へー)更にWikiで読みましたが 手前の池は長江を表しているんですって。(へー)

時に この日書院では長谷川等伯の複製の襖絵をバックに(雑誌か何かかな?)撮影が行われていました。 / 講堂の五色幕も撮影用だった、かも?

(↑書院内の襖絵はレプリカなので撮影OKでしたが、プロカメさんの邪魔になりそうで遠慮しました)

お庭を眺めた後は 講堂へ。(講堂内の襖絵は前芸大副学長の田渕俊夫さんによるもの。松林図屏風を思わせる 等伯へのリスペクトが感じられる墨絵で、 智積院の新しい講堂(1995年に完成)を飾るのに相応しいもの と思われました。)
↓講堂西の一文字型手水鉢_ 青蓮院にも同形の物がありましたっけ。調べたら一文字~は建仁寺にもある、らしい。ある時代に流行した形なのかな?)


有料拝観エリアを出_

金堂へ向かいます。

金堂は真言宗智山派の総本山智積院の中心的な建物。 本尊仏 大日如来像もここに安置されています。(1975年完成)

↑桔梗紋の入った幕が架けられています。 / なにゆえ寺紋が桔梗なのか? と調べてみたら、なんと! 智積院に隣接していた祥雲寺の普請を手掛けた加藤清正の紋です。
↓よく見ると 桔梗は色んな所に描かれいました。(そういえば書院の瓦にも 講堂の畳の縁にも 桔梗がデザインされていましたよー 写真撮ればよかったなあー)

↓入口上の扁額

(↑扉にも桔梗がー)
__秀吉に焼かれた根来の寺、その後継寺である智積院_ 秀吉の子供の菩提寺:祥雲寺を与えられた智積院_ 祥雲寺の普請大名:加藤清正の桔梗紋を寺紋にした智積院_... 頭がぐるぐるします。

↓金堂の縁から南を見ると明王殿 という大きなお堂が見えました。カメラを向けた時は 単に景色 と思って撮ったのですが、家に帰って智積院のHPを見たら・・・

↑驚きました、 なんとこの建屋は四条寺町にあった大雲院の本堂 だったものなんです!(大雲院は信長親子の菩提寺で、今は八坂神社の南に移されています。 祇園閣が立つ場所です) もっとちゃんと拝見すればよかったなあー・・・

そうそう、智積院には宿坊がありました。(食堂もあり、食事だけの利用もできるようでした) 覚えておこうと思います。


智積院のHPはこちら↓
http://www.chisan.or.jp/
お寺の歴史、伽藍、寺宝、 色々見せて頂き 勉強させて頂きました。