伏見の御香宮(ゴコウノミヤ)神社へ行ってみました | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

先週の事 になってしまいましたが_

一人で伏見の御香宮神社へ行ってみました。
↓京阪の「伏見桃山駅」から東へ向かいます。

ゆるい上り坂です。
少し行くと近鉄京都線の「桃山御陵前駅」があります。

(↑この駅は当初「地下化」が計画されていたようですが、水脈が裁たれるかもしれない と伏見の酒造業界が反対して高架駅になった、のだそうですよ?)
↓更に行くと大きな赤い鳥居が車道上をまたぐように ババンと架かっていました。

↓額の字「御香宮」

↓鳥居の先_ 左手に瓦の載った白壁が続いています。てっきりお寺かなと思ったらー

↓聖公会系の幼稚園でしたー!(瓦の紋は「三つ巴」でした。キリスト教の神は「三位一体」ですものね、なるほどな紋でございます)

↓幼稚園の先に 神社の門がありました。ここが「御香宮神社」なんですね?/立派な門ですが、なんとなく神社っぽくないような・・・ と思ったらー

(蛙股には唐風の木彫が~ / 後で調べたら「二十四孝」だって // えー↓これが二十四孝の一人なら・・・唐夫人ですかね? よく考えずに撮ってしまいました ちょっと赤面)

↓なんと旧伏見城の大手門、が使われている のだそうです!(1622年に徳川頼房さんが寄進した_という事は豊臣時代の物、という事でしょうかね?)


門を潜って境内地に入りました。

↓あら 右手に天神さんがある。

↓天神さんの社殿の横には 大きな石がゴロゴロ転がってましたがー これが又「伏見城残石」なんだとか・・・

(んーんーんー、こんな所を資材置き場のようにする事 何か意味があるのかな?)

参道左手には (おそらく)社家さんの御宅、

参集所、

蔵、などがありました。

(↑瀟洒な という形容詞をつけたい程に赴きある蔵ですね?)

お宮は階段の先_ 他より一段高まったところにあるようです。右手に手水舎。

左手には不思議な・・・奉納物を納めるための斜めに伸びるウィング、をもつ建屋。


正面_

右手にはこんな石柱がありました。((?)政商店というお店が 永代神饌料・灯明料として麦酒株式を拾株奉納しました、と彫られています。上の朝日のマークがなかなかイイネと思って撮ったのですが_ 石柱にある「大日本麦酒」は「大阪麦酒(アサヒ)」+「日本麦酒(エビス)」+「札幌麦酒(サッポロ)」が合併してできた会社だったんですね? この会社、西日本ではアサヒビールを売っていたようですから 石柱の「海洋に朝日」はここからとられたのでしょう。)


さていよいよ拝殿にー と思ったら、あら、通り抜ける作りです。(割拝殿 というのですって)

立派だなあー


(伏見城の車寄せだった、 とも 伏見城内にあった「古御香宮」の拝殿を移築したもの、 とも言われているようです)

拝殿の先には・・・

神殿がありました。/ご祭神は神功皇后。安産祈願のお参りが多いそうです。

さて、このお宮がなぜ「御香宮」か、というと神社側によると  ここから香しい水が湧くによって、 だそうですよ? (Wikiによると 仲哀天皇・神功皇后の廟である筑紫の香椎御宮から神功皇后を勧進して建てられた_宮名は香椎御宮から という説もあるそうです)

ただ 残念な事にこの日は丁度バルブ交換工事とかで出水はありませんでした。。。(日頃の行いが悪いからでしょうか><;)

又改めてお訪ねいたしましょう。

↓西側から神殿部を見上げたところ_。(慶長10年 家康が造営したという重文です)

近くにあった梅。

丁度見頃、ですね^^)


境内をくるりと回っておりましたら_

「明治維新 伏見の戦跡」という説明版がありました。「佐藤栄作 書」ですって。

(ここは薩摩軍の陣地だったんですねー)

帰りしな_ 駅近くのスーパーで ご当地カップ麺を発見。(いや本当はお宮へ行く前に発見して「帰りに寄ろう」と思ってました)

伏見桃山の踏切が見えてきた。

この駅は 踏切のすぐ横にプラットフォームがあり、線路側からヒョイ と上がれそうなのにー 改札は階段を下りた先_地下なんですよねー。(ななな なんでだろう? この駅を作る時は 水の流れが変わるから なんて反対運動は起こらなかったのー???)


とそれはともかく_
はい これがスーパーで買った ご当地カップ麺です。
祇園「おかる」のあんかけうどん とー 勢いで(?)姫路「まねき」のえきそば(黄蕎麦)。

えー っと味は・・・ ま カップ麺ですから な感じでした_ 失礼。