↓曽根駅側から向かうと 橋を渡ることになります。

↓延命橋_という橋のようですね。

↓橋のたもとには 白い石の童子の像が置かれていました。


橋の下には水は無く 公園になっていました。/ 元は川だったのかしら? と思いましたが お寺のHPによると↓
http://www.haginotera.or.jp/outline/history_ep05.php
「もとは蛇喰池(じゃはみいけ)と呼ばれた荒蕪地でした」だそうです。
橋を渡ると山門が目の前に現れます。

紅白の幕が引かれている・・・ 何かおめでたい催しが?
↓(全く予備知識無く伺ってしまいました・・・)

実はこの日(5/3)は 年に一度の観音様の御開帳の日だったのです。

不信心者ゆえ ちょっとどきどきしながら拝観受付を通りますーーー

↑山門の額の字_「東光閣」と読めそうですが・・・(ハテ?)

境内に入ると すぐ目に入るのは観音像。


↑戦前 魯山人が曽根駅前に美食倶楽部「星岡茶寮」を開いた折 自作の「白衣観音像」を奉納したそうで これはその大版レプリカ。「魯山人観音」と呼ばれているそうな。
その先には「お砂踏み霊場」_(霊場のお砂が置かれていて 参れば遠方の霊場に行ったと同じ功徳を積んだことになる、という有難い処 / 尊過ぎて近寄ることもできませんでした)

隠岐から遷座申し上げたという秘仏「あごなし地蔵尊」のお堂「東照閣」_ が、、、

そして 萩の若葉の向こうに 本堂「吉祥林 円通殿」がありました。

ここで秘仏「こより十一面観音」を拝観_。(薄いベール越しに、ではありましたが_神々しい金色の仏様でした)

時にこの本堂は 先の震災で全壊し_平成11年に再建されたもの、だそうです。
本堂前の永代供養塔には スリランカから贈られたという白いブッダの瞑想する坐像が安置されていました。

お寺の方から 路山人ゆかりの品が展示されているのでどうぞ という案内があり 書院にお邪魔しました。

中では湯茶とお菓子も頂けました。


魯山人について もっと知っておれば 拝見したものの価値もわかったのでしょうが ・・・ 申し訳なくも 焼き物について 位しか知らず・・・ 魯山人について何か読もう_ と思った次第。。。
退出いたします。
__今度は萩が花をつける初秋に伺おう。

ありがとうございました。

■それにしましても■
萩の寺が 元々は大阪市の「中津」(←梅田から北へ一駅)にあったとは!
阪急の鉄道敷設で豊中に移されるまで この寺は (南の四天王寺、に対して)「北の東光院」と呼ばれていたんですね。天平時代に行基によって開かれたというから 長い歴史をもつお寺です。
代替地として提示された豊中・・・ 当時のお寺の関係者にはどのように見えたでしょう?
境内の前の池の名が「蛇喰池(ジャハミイケ)」なのも 荒れ寂れた場所だったのではと想像させます。(池に参拝者のための橋を_ 鉄道資材でお寺が架けた という話からも 哀しみが伝わってきます) それでもお寺の方は 中津での通称「萩の寺」を誇り 豊中でも萩の寺であり続けようと 萩を移し植えられ それを守ってこられたんだ。(食糧難の時代に、 境内を畑に という声を受けながら 萩を守られたという逸話には 目が潤みます・・・)
今回 何の気もなしに伺った萩の寺ですが 思いもかけず 長い歴史と御苦難を知りました。
いや、、、 まだ知らない事の方が多そうです。 ゆるゆる調べて参ろうと思います。