稽留流産 | ずぼらママの妊娠*出産*育児 奮闘記 〜プリ子とたぬ男〜

ずぼらママの妊娠*出産*育児 奮闘記 〜プリ子とたぬ男〜

自分が経験した妊娠・出産当時の流産や産後うつのこと、日常の子育ての中で記録したい事、世の中のお母様方と共有したい事、弱音を吐きたい事、などなど…多々ありブログを開設してみました。ブログを通じて世の中のママと繋がりが持てれば嬉しいです!!

北の方は今日も雨雨
寒くてヒートテックを着るほどですアセアセ



今日は流産体験について書きたいと思います

わたくし、妊娠は4回経験しております。
1度目は稽留流産、2度目はプリ子、そして3度目も稽留流産…
4度目にして、たぬ男を妊娠しましたラブ

1度目に流産を経験してますので
なんでしょう、あの今回上手くいかないんじゃないかって言う感じがなんとなーく分かるんですね…えーん

主人と話していて
プリ子が3歳になった時に
そろそろ2人目欲しいね〜なんて話していて
1度目の流産の事もあるので
なるべく私が若い内がいいだろうと。
なので思い立ったらすぐ実行!

ということで
3回目の妊娠もすぐでしたビックリマーク
着床は上手くいくのですが…

検査薬で陽性が出て、その2週間後?くらいに産院に行きました。

胎嚢は見られるものの、心音の確認はまだ出来る週数では無いのでまた2週間後に来てねとのことで帰されます。

嫌な予感…

ここまではどの妊婦さんでも普通のことなんですが何故か予感はしたんですよね〜
でも6週目になんと!!

心音確認キラキラキラキラキラキラ

私の嫌な予感は予感なだけだったのね〜なんて思っているのが5割。
心の中では不安が5割。
何故って2週間前に見た胎嚢の大きさ。
あんまり変わってなかったんですよね…

産院の先生からは

「育ち方も早い遅い人それぞれだから念の為、来週もう1回きてみようか。」

と言われてその日は母子手帳はまだ貰えず。

不安はあるのに動いている心臓を見たらもう

母性が溢れ出すのです。

不思議ですね、人間って。
胎動もまだ感じないのに
心臓が一生懸命トクトク動いているのを見たらもう

愛おしい。


ちゃんと育つといいな
とほんとに心から願う1週間でしたぐすんぐすんぐすん


その時プリ子は3歳。
主人も仕事で遅い帰宅が多いので
私は毎日忙しく
仕事、子育て、家事に追われて
夜な夜な1人で思い悩むことはあっても立ち止まって思いっきり不安になることってなかったんです。
大丈夫だって信じよう!!と気を張ってたというか…

そして1週間後いざ病院へ

先生が何度も確認する
沈黙……
先生「んー…」
また確認する…


心音確認できず。
予感的中。

先生「残念だけど今回は流産だね…」

その瞬間、

悲しいという感情より先に涙がポロポロと出ていました

そして大変だったのがここからタラー
待合室に戻っても感情は付いてこないのに

ただ涙が出るアセアセアセアセアセアセ

周りの妊婦さんに悟られないようにしたいけど、ドンドンドンドンドン出てくるアセアセ

何これ!?

涙腺崩壊したまま診察室へ呼ばれ
先生にティッシュを差し出されましたアセアセ

恥ずかしいことじゃないけど
どこか人目を憚らず泣いてると思われたくない強がりな自分もいて

先生が「これ使って」
と優しく差し出してくれた箱ティッシュを

バッ

と勢いよく取ってしまいましたアセアセアセアセアセアセ
(先生ごめんなさいタラー)

そんなこんなで3回目の妊娠も稽留流産だったのです。

1回目もそれはもうショックでしたがその時通院していた産院の先生はこう言ってました。

稽留流産は4分の1の確率で起こります。

お母さんのせいではなく染色体異常です。

つまり
妊娠した女性の

4人に1人が経験する

元々どうやっても育つことが出来なかった胎芽

という事です。悲しいけど医学的に言うとそういう事なのでしょう…ゲッソリゲッソリゲッソリ

1度目の稽留流産の時、この言葉が私を支えていたと言っても過言ではありません。

逆にそんなこと分かったところで気持ち的にいきなり
あーそっかそういうもんなんだ〜
なんてなる訳もなく苦しめられた自分も居ますがチーンガーン


ただ後に色んなママさんと話してみるとかなり多いんですね、稽留流産を経験されてる方えーん自分だけじゃないんだなと思えた事でかなり救われました。



稽留流産をすると、自然に出血などが無い限り手術になります。これまた精神的に辛いんですよね。
掻き出す手術なのでショボーンショボーンショボーン

短時間ですが全身麻酔で日帰り手術です。

1度目の時は思いっきり悲しむことができましたが(それにより精神的に病んでしまった訳ですが)

2度目は流産の診断を受けて
病院でひとしきり泣いたら悲しむ時間もなく、手術の日までまた忙しい毎日を過ごしましたアセアセ

そして手術の日。

1人で行って準備して手術台に乗ったら

悲しみが溢れ出すショック!ショック!ショック!

涙がまた次から次へと流れてきたのですが
もう既に手術台に仰向けになってるので

鼻水がかめないガーン

息が出来なくて苦しかったです滝汗滝汗滝汗
看護士さんが涙は拭いてくれましたがアセアセ

そのままの状態で先生到着!!アセアセ

先生「麻酔入れますよ〜」

私「はい〜(このまま息止まったらどうしよ〜)」

と思ったら次の場面はもう廊下を走るベッドの上でしたもやもや

お腹にもう居ないんだなぁ

そう思ったらまた涙が止まらなくなり
家に帰ったら泣けないので
その時は悲しい感情と共に思いっきり泣きましたえーんえーんえーん

その後、間をあけるとまた前回のように病んでしまいそうで怖かったので

産院の先生から妊活OKが出てからまたすぐトライしてお腹にきてくれたのがたぬ男ですデレデレハート



私の友人は子宮頚管が短くて死産を2回経験しました。
流産と死産、比較は出来ませんがほんとにほんとに言葉では言い表せない悲しみと思います。
その友人に最後に会った時、プリ子と同い歳の子がいました。
彼女は妊娠するとずっと入院しなければならず大変な妊娠生活ですが

「(死産してしまった)2人の分、あと2人産みたいの」

と言っていましたキラキラキラキラキラキラ
そして今や二児の母ですイエローハーツ

その言葉がとても逞しく印象的でした。
そして

母性ってすごいなぁ

と改めて感じました!!

1度目の流産、2度目の流産、どちらも辛かったけど2度目は出産経験もあり母性がかなり育っていたので1度目の悲しみより
種類の違う悲しみがあったように思います。

最初は元気に産んであげられなかった自分を責めたり
あれをしたからとかこれをしたからと理由付けしたりしていましたが、

今はあんなに悲しかったのは少しの間でもお腹に居てくれた我が子をちゃんと愛していたからだと思っています


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子供を産んで初めての鼻吸いは
口で吸うやつを使ってましたが
*吸ったあとも鼻がブヒブヒ言ってる
*自分が苦しい
*子供が暴れるのでササッとうまく吸えない
*自分もうつっちゃう

これらを解決したくてプリ子1歳の時に電動鼻吸い器を購入!!
最初は泣くけど慣れれば子供も暴れず大人しくなります○

3歳前半までヘビロテでした〜
今はちゃんと鼻がかめるのであまり使わなくなりましたが、今度はたぬ男に使います!