山形市内からホテルに戻り、夕方に「夜の街でガオー」と出撃。
まあ、そこは割愛。
翌日早いので早々に寝てしまう。
6:30起床、「ボ、ボ、ボクはお、お、おにぎりがす、好きなんだな」と山下清を憑依させつつ、ホテルの無料朝食サービスを頂く。
ちなみに画伯のレベルだと、犯罪を犯しても何とか無罪になるのであろうか?とふと気になる。
それはさておき、チェスト関ヶ原、もとい、チェックアウトして山形駅から米沢へと向かう。
一応、山形新幹線と同じ路線であり、上山市(人口3.0万人)~南陽市(3.2万人)~米沢市(8.5万人)と続く地域ながら、(マジかよ、マジ秘境…)という印象である。
米沢駅につくと(山形駅より空が広い!)
高いビルがないのである。
ロッカーに荷物を預けて米沢城址(上杉神社)へと向かう。
途中に常信庵というお寺があり、案内板によると「 花沢城主・佐藤庄司正信とその子供である継信、忠信兄弟の菩提寺として正信の後室である梅唇尼(羽姫)が開いた」とのこと。
ゆかぴょんにはちと疑問なのであるが、源平の世から"佐藤"姓の武士がいたのに戦国時代には"佐藤"姓の戦国大名・武将がさっぱりいないのはどういうわけでっしゃろな?
戦国ちょっといい話・悪い話のサイトにも"佐藤"はわずかに二人。
(相馬家:佐藤為信、斎藤家:佐藤忠能)
加藤(清正、嘉明、光泰)、斎藤(道三、利三)、後藤(又兵衛)、伊藤(盛正)、武藤(喜兵衛=真田昌幸)、 近藤(康用=家康家臣) 、安藤家(家康家臣)、内藤(昌豊)、内藤家(家康家臣)、進藤(正次=津軽家家臣)、尾藤(知宣)、遠藤(直経=浅井家家臣)
"●藤"姓の戦国大名・武将がこれだけいるのに、"佐藤"姓は何をしてたんですかいの?
現代日本では最も多い姓だけにいささか不思議に思われます。
ずんずんずんと進んで、最上川を超える。
この辺りだと川幅は狭く、かろうじて河川敷がある感じなのですが、毎年開催される上杉祭りのメインである『川中島合戦』が行われるらしい。
うーむ、3年に1回ぐらいのイベントだと「鞭声粛々夜河を渡る~中略~流星光底長蛇を逸す」という感じが出ると思いますが、毎年だと「き、今日はこれぐらいにしといたるわ」「アカン、これ以上やるとワシが本気になる」てな池野めだか感が漂いませんかね?
そんなこんなで上杉神社(米沢城址)に到着。
実は伊達政宗生誕の地でもありまする。
上杉家が越後→会津に移封された時、120万石中の米沢30万石に直江兼続が配される。
…直江兼続って、伊達政宗disエピソード多い印象。気まずくなかったんやろか?
その後、上杉記念館で鷹山公の事績を学び、山林寺で直江兼続のお墓へ。
上杉家墓所や前田慶次何とかの地は遠すぎてパス。
アチコチ行きたい人は、車かレンタサイクルで回るべきですな。
