お昼過ぎに立石寺から山形市内に移動。
駅前の霞城セントラルビル24F展望室に登る。
なんとかとゆかぴょんは高いところと無料が大好きなのである。
市内を一望出来る絶景スポット。
ただ、まあ、文京区役所の展望台からだと天下を一望する感がありますが、うーむ、正直ここから天下取りは厳しい…という感じ。
だば、羽州の狐の城郭を見に行くべ、と霞城公園へ。
最上57万石は伊達じゃねえ、といった感じのお堀と石垣が残っておりま。
ゆかぴょんも歴女の端くれ、石垣上をぐるっと散歩するだけでご飯が3杯食べられます(嘘w)
山形市郷土館で医学校の資料を見学。
…読めん。
150年前程度の日本語が読めないとは、戦前・戦後の断絶は大きいですな。
まあ、旧字体・旧仮名遣いよりも現在の方が合理的で洗練されているとゆかぴょんは思うので、国語改革はあれで正解だったと思いますが。
しかる後に、山形美術館と最上義光歴史館…は赤木、意外にもスルー。
文翔館(旧県庁舎、県会議場)へと向かう。
いかにも明治の洋館という感じ、考えてみたら、異人が来るわけでもなく、蘭学者が盛んだった地でもない東北の内陸部で江戸→明治でよくまあこういう建築がされたもんだな、と思ったら1911年5月の山形市北大火で前庁舎が焼けたから(今度は耐火建築を!)で1916年(大正5年=明治49年)に竣工。
東北に洋化の波が届くのはかくも遅かりし由良之助…みたいな感じだったんかな?
(もっとも、先の山形市郷土館(旧済生館病院本館)は木造洋風建築で1878年(明治11年)竣工)
一応、「るろうに剣心京都大火編(映画)」、「賭ケグルイ(TVドラマ)」の聖地巡礼である。
…どちらも見てないけどw
歴代県知事の写真が飾ってあるけど、鹿児島・鹿児島・兵庫・福井・佐賀・青森・鹿児島とYOUTUBEの「千葉滋賀佐賀」という感じ。
戦前33代の県令・県知事の中で東北出身者はわずかに1名。
戦後も1・2代は兵庫出身で、1955年にしてようやく山形県出身の知事が誕生。
山形藩は朝敵藩とか薩長土肥の藩閥政治とか賞罰的県名説とかは聞いたことがありますが、(ああ、これがそういうことか…)と一目瞭然。
文翔館を出て、目の前の山形市役所展望台へ。
霞城セントラルビル24Fの半分ほどの高さですが、なんとかとゆかぴょんは高いところと無料が(ry
そんでもって七日町御殿堰でも見とくべえかと歩いていたら、旧に豪雨が…。
本屋で暫く退避して事なきを得ましたが、午前中の立石寺参りの時に降ってたらエラいことになってたでしょうな。
やはり、日頃の行い、心がけの良さ。善因善果、悪因悪果、全て良い樹は良い実を結ぶ、みたいなw
ここまでで大概、歩いて疲れてきたので、もみじ公園(清風荘)もパスしてホテルに戻る。