明智光秀(?~1582年)が織田信長(1534~82年)を討った1582年(天正10年)の本能寺の変は室町幕府の再興を目指したクーデターだったことを示す光秀の書状の原本が見つかったと、三重大の藤田達生教授(日本中近世史)を中心とする調査チームが11日発表した。
書状については東京大史料
書状は、岐阜県美濃加茂市の美濃加茂市民ミュージアムが所蔵する「(天正10年)6月12日付土橋重治宛光秀書状」(縦11・5センチ、横56・7センチ)で、本能寺の変の10日後、反信長派の土豪・土橋重治に宛てられた。光秀の
==(以上、引用終わり)==
仏の嘘は方便といい、武辺の嘘は武略という…ですからな。
「主殺し」の光秀にしたら、それを上回る大義名分は
①信長の朝廷への反逆を阻止
但し、これはクーデター失敗したら朝廷に迷惑がかかることから名分とし難い。
②足利幕府の再興
ぐらいしかないですからな。
そういう書状があったからといって、本気でそう思っていたのか、それが動機であったかはちと疑問。
それはそうと、太閤立志伝Vの光秀プレイで本能寺イベント→山崎の合戦で勝つと足利幕府が再興されて坂本城(だったかな?)が義昭の居城になるんだけど、コーエーの中の人、「こ奴、出来る!」という感じ。
いやあ、歴史ってロマンですねえ、と思うゆかぴょんなのであった。ちゃんちゃん。