>明らかに憲法違反である法案が強行採決されたベースには

>そのような無意識的な集団心理がある。一部の日本人は

>「政治的に正しいこと」を言うことに飽き飽きしてきたのである


正確には、「憲法的に正しいこと」でしょう。

理屈から考えれば、占領時に占領軍に押し付けられた憲法など無効です。

廃憲し、日本の、日本による、日本のための憲法を制定するべきです。


しかしながら、戦後、日本の置かれた立場、サンフランシスコ条約を批准した敗戦国という外交的文脈からは廃憲も改憲も困難です。

憲法の改憲手続きも非現実的なものです。


そういう現実の中、苦しい解釈の運用によって、何とか日本の国益を、国民の生命と財産を守ろうとしているのが、この安保法制の動きでしょう。


「憲法守って国滅ぶ」じゃー、イカんのですよ、内田大先生!

ましてや、それが占領下に押し付けられた憲法となれば、なおさらのことです。


>生身の人間として戦争を経験して敗戦を迎えた世代には、平和と

>繁栄という「敗戦の果実」をありがたく思う身体実感があった。

>占領も、属国化も、基地の存在も、「戦争よりはまし」という比較が

>できた。でも、そういう生活実感はもう今の人はない。平和憲法が

>敗戦国民どれほどの深い安堵をもたらしたか、そのリアリティが

>わからない。だから、憲法がただの「空語」にしか思えないのだ。


何かを失うということは、何かを得るということです。

敗戦で失ったものがあれば、敗戦によって得たものがあるはずで、そのことを内田大先生は指摘されていますが、見落としている点がいくつかありますねww


戦前、有色人種は差別されて当たり前でした。

有色人種でそれなりの国は、日本とタイ、ぐらいでした。

中国は軍閥乱立、租界あり、植民地あり、で国としての体を為していませんでした。


戦前は、ブロック経済で、本国と植民地間、同盟国間の貿易が基本でした。


戦前は、日本は満州、半島、台湾、南洋諸島の経営をしており、大陸と半島の文明と民度の低さに悩まされていました。


さて、戦後はどうなったでしょう、という視点が上記には欠けていますね。


敗戦の衝撃とトラウマ、戦後70年も経過して、それだけに囚われて評論されるようでは、評論家失格ですよww


>国際社会から「善い国だが弱い国」と思われるよりは、

>(中国や北朝鮮のように)「嫌な国だが、怖い国」と思われる方が

>「まだまし」だという心情が安倍首相には確かにある。

>これは安倍首相自身の個人的な資質も関与しているだろうが、

>明治維新から敗戦までは大手を振って発揮されてきた日本人の

>「邪悪さ」が戦後過剰に抑圧されてきたことへの集団的な反動

>だと私は思う。


ああ、やっと中国や北朝鮮が出てきましたねww

国民を餓死させても、核兵器を開発して周辺諸国を恫喝する国は、内田大先生の中では、"邪悪な国"ではなくて"嫌な国"に分類されるんですねww


少なくとも、明治維新から第一次世界大戦までは、日本は当時のグローバルスタンダードであった帝国主義のルール、そして国際法に基づいて行動してきました。

そして、今回の安保法制も日本国、日本国民の安全と生命・財産を守るという文脈の中で採決されたものです。

どの辺りに、"日本人の邪悪さ"があるんでしょう?


内田大先生、あなたは日本人なんですか?ww