ゆかぴょんの読書の基準は、面白いか/面白くないか、である。
ここ最近、書店に寄ったときは、内田樹本を立ち読みすることにしている。
この人の視点はユニークで、教養と知性の厚みを感じさせ、面白いと感じる一方、どこか人当たりのいい詐欺師に騙されているような違和感が気になるからである。
しかし、あれですな、この人、東大卒のフランス現代思想家にして、合気道家とのことなんですけど、護身の達人というより、保身の達人ですな。
「街場の-」というタイトルの著書が多いですけど、あくまで素人の「床屋政談」を楽しんでいるんです、むしろ、専門家が読んだら、「こめかみに青筋を立てて激怒する」ようなことだけを選択的にしゃべっているんです、と最初から逃げをうってます。
これは、エラソーなことを言っていながら、最後は「いやあ、ワシは漫画家だから」と逃げるヨシりんと同じ、いや、最初から逃げをうってる分、より卑怯な態度だなーと思えます。
作家の井沢元彦さんは、史料至上主義の歴史学会の専門バカはおかしい、という姿勢で自分の意見に異論があれば反論どうぞ、という姿勢なので、ゆかぴょんは好感を持っています。
(一方の歴史学会の態度は、しょせん素人、しょせん井沢と内輪でグチグチ言ってるノンアカデミックな印象ですな)
また、『論争するの嫌いです 』と称して、これまた予防線を張っています。
そりゃ、まあ、読者のレベルもピンキリで、ホリエもんみたいな無知なくせに相手の意見は聞かない・自分の意見は絶対正しいってな阿Q的最強議論人&炎上芸人の相手をするのは、人生のムダと言えばそうですけどね。
>私はこれまでいくつかの論争を読者として見てきたが、論争の勝者
>から学んだ知見はあまり多くない(というか、ほとんどない)。
>むしろ「論争で勝つ側の人間は、別のかたちで何かを、それも論争
>の勝利で得たよりも多く失う」ということを学んだように思う。
>だから、そういう剣呑なものには近づかないことにしている。
経験則から上記のような知見を得てるのかもしれませんが、自分が意見を発するというか、釣りをしておいて、魚が食いついても放置プレー、てーのはどうなんでしょうね?
さらに、こまけー揚げ足とるんじゃねーぞ 、とこれまた予防線を張っています。
インフォーメーション(情報)じゃなくて、インテリジェンス(インフォメーションを収集・分析した結果としてのプロダクト、判断・行動するために必要な知識・知性)が大事なんだよ、という意味では一理あるなあ、と思うんだけど、この人の本を見る中で、いくらなんでもそれは事実誤認か悪質な誘導じゃないの、といいたくなるような基本的な知識が欠けていること、に気が付くことがあります。
そんでもって、さらにさらにご丁寧なことに、『「呪いの時代に」ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか』 と、オレを批判するんじゃねーぞ、と結界を張っています。
おお、横道にそれるけど、・・・(三点リーダ)はやっぱり、ふたつ重ねて使用するのが正しいお作法なんですかいのう、ゆかぴょん、面倒なのと見た目の印象で一つに戻してますけどww
さらに横道にそれると、この記事の文章にも違和感を感じます。
ちょっと長いですが、引用します。
>「ロストジェネレーション」論は、大学の卒業年次に
>おける就職の難易によって人生は決まる、という
>ものです。だから社会矛盾は世代間に存在する。
>「無能で強欲な老人たち」がポストも資源も独占
>している。若者たちは、彼らが不当に占有している
>ものを奪還する権利がある---というのです。
>千万人単位の中高年層が「欲深く役立たずの年寄り」
>という記号で一括りにされ、そこが集中して攻撃されて
>いた。
>社会的に格差があり、分配がアンフェアなのは事実です。
>でも、「年長者一般に対する憎悪」を掻き立てても、問題は
>何も解決しない。
>このような、無内容で、毒性の強い思想を朝日新聞が
>率先して撒き散らしたことに、僕はメディアの著しい劣化を
>感じました。同時に、これは一つの新聞にとどまらず、
>時代に取り憑いた病ではないかとも考えました。
>そして、現在までさらに進んだその風潮を、「呪いの時代」
>と呼ぶことにしたのです。
いや、いや、何とおっしゃるうさぎさん、朝日新聞なんて戦前は「鬼畜米英」、戦後は「反戦平和人権福祉」、「反権力・反政府」、「保守は悪、リベラルは正義」、「サヨクは正しく、右翼は悪」で一貫して、自分の意見に反対するものは悪魔であるという姿勢じゃないですの。
お友達への批判はお優しいですなあ、と思わざるをえませんな。
ここまで結界・予防線を張っておけば、批判はしにくくなるし、されても相手にしないという逃げをうちやすいですから、実に上手いというか、狡猾ですなあ、とゆかぴょん、思うものなりよ。
長くなったので、著書についての批評はまた別途。