CTをしているとき、
造影剤を注射して、より見やすくして撮影するんですが、
それが今日、漏れてたんです。
でも、血管には入ってますって、技師さんは主張してたので、
そのことを知らないビーバーは、じゃあそれ残したまま戻りましょう。
ということでした。
でも、結局は抜いてもらうんですが。
で、今になって、その刺していた場所が腫れ上がっていたので
ナースコール押して交代したベテランに聞くと、何日か前からあったよ。
とのこと。
デキスギに聞いてみようか?
ってことで、診てもらったら、
もしかしたら、腫瘍かもしれない。
ということでした。
皮膚癌か、内在的なものかは、判断がつかないけど、この大きさだと考えられるとのこと。
それと、
今日で、入院7日目なので、
最初の入院のときに言われた死の宣告から、ちょうど、一週間が経過するわけですが、この先の死期についての見解を明日の午後には出していただくことでお願いしました。
『今後の生命の話をしたいです。』と。
酸素ボンベのレンタルや料金についても聞く必要があるのか
入院期間中に死ぬのか
死ぬとしたら、
余暇を楽しむ時間はあるのか、
聞きたいことが増えそうです。
持ち直したといっても、
死の枠組みの中での持ち直しなので
僕はあまり喜べるものはありませんでした。
まあ、肺がんになったときから、それは、形づけられているものですが。
ガンとしての呼吸困難であったり、
薬がなくなっての死でなく、
他の臓器が病んで死ぬのは、なんだか、悲しいですね。
うちは、祖母の家系がみな、肝臓の病で亡くなっているので、僕も、結果的にその中に入ってしまうとしたらとても、筋書き通りすぎて、なんだか、笑ってしまえます。w
まあ、僕の悲観的な考えより、明日のデキスギのもっと僕より残酷な見解を待ちます。
肝臓が痛むので美味しいものも食べられません。
ぼくは今では生きた屍です。
iPhoneからの投稿