ホスピス、僕は見に行くことができないので
そこは、家族に任せます。
一応、ソーシャルワーカーのひとから説明を受けてパフレットをもらって、
その施設ごとの特徴などを聞いて
家族の都合と僕の要望を合わせたところで、だいたいの場所を絞って。
としています。

来週、オカンが面談に行くそう。
予約もいっぱいで、満室状態みたいなので、すぐには入れなさそう。
ということをデキスギに伝えたら、手紙を書いたからこれを持っていくと何かの足しになるかもしれない、と今朝、渡されました。

罪悪感を感じていると、
言ってたのが印象的。
メガネくんから代わって、自分になって、症状を緩和する薬に指針を変更したことがこうも、悪い形に。
と言っていたけど、
やはり、大学の先生だなと思った。
自身に意思決定権があるにもかかわらず、しがらみや指示に従わないといけないところが。
メガネくんは、そういう意味ではイレギュラーでした。
あのままメガネくんのままだったら、まだ、僕は治療をしていたかもしれません。
それは確かだろうな。
ま、それは、叶わない話だったので、いってもしかたのないことですが。

今は、肝臓の出血を止める点滴治療と
今朝から、ステロイドで痛みと脳への緩和措置をしています。
また、光が見えてきたから。
ステロイドで肝臓破裂したのに。
ギリギリの綱渡りです。
でも、体調はいい。
腹水も抜くまでなく、寧ろ、腫瘍が肥大してお腹が張ってます。
あと、栄養剤の点滴と
医療用麻薬とロキソニンの点滴薬で、熱下げと痛みを逃がす点滴を。
頭ぼーっとしてます。
緩和ケアってもっとすごいんでしょうね。
治療をせずに、痛みのみに特化した緩和のみの場所らしいので。
痛みで苦しむことはない。
だから。いっけん、元気に見える。
そして。そんな状態だから元気になる。
長生きも。
ただ、いえ、。

やりたいことは、パソコンの中に詰まってるので、オカンに持ってきてもらいます。
そして、気のいいおばちゃんに渡したいものもあるので、ちょっと、なんとかします。
興味あったらですが、昔の言葉綴り、今と全く違うので見てみてください。

ってだけです。、w
タイはありません。

今日の担当は、美少女とベテランです。
美少女、なぜ、平成まで書いたしw
点滴のとこに平成26年と書いてあるw
いつも優しいベテランも、ツッコミたそうだった。w
採血もしました。
どうなってるかなぁ。

むう。暑い。
アイスボックスたべたひ。。
ステロイドか!
やたらお腹減るのは!
うぬぬぬ。(何
はあ。
おなかへったぁ。。



iPhoneからの投稿
泣いてたなぁ。
ロボ。
ごめんよ。

今日の担当は、ワカアツ、赤毛、美少女です。

女子プロきたー!

んあ、朝方トイレ行くのめんどかったから、尿瓶で済ませようとして、アイドル顏にガッツリ、僕のMyサン!を触られるというイベントが。。
無表情だし。。
あのときのナースさんたちの心境っていったい。。w

あれ?
さいごに、を書いてから
なぜか、最後のブログ更新みたくなってますが、違います。
潔くないんです僕。w

最後の更新なんて言ってないもん!(ガキか

んあ、そっか。
さいごにって、さいごに書くものなんですね。←
はじめに、を、途中で書いたものですから、じゃあ、ずらしておきます!←


ホスピスまでの道のり、
それから、ホスピスでの日記を書く予定としてます。

あ、緩和ケアチームがまたくるみたい。
困るなぁ。
あの人たち苦手だからなぁ。

今日も汗だく。
熱は7.6度
タオルが間に合わない
寝ながら、呼吸整えながらは
すこし大変です。

トイレは、
ナースさんがいないといけない。
酸素ボンベ抱えきれないし。
点滴を三つしてます。

昨日はアラレだったから、
恐かった。
新人じゃないのにすべての動作がおぼつかなくて。

そういえば昨日、補佐官と初めてで長期にわたって話しました。
為になるものばかりでした。

ご飯は食べてません。
点滴だし。
お腹も減らない。
今朝は減ったかな?

んあ、なんだか、
いっぱい。コメントもらって、
ありがとうございます。

津村さんのコメントにコメント返しするの、忘れててごめんなさい。
ええ、ゆっくり、きのいいおばさんと一緒にお会いできるときにでもいいので、
また、お会いできれば幸いです^ - ^

諦めてるわけじゃないんです。
受け入れようとしているんです。
気持ちは負けてません。
いつまでも、負けません。

ただ、化学療法もできないからだで何ができるのかわからないだけです。
もう、治療という治療は、身体が受け付けられない仕様となってます。
原発の肺以外の、転移した先の悪化が異常なほど早すぎて。


iPhoneからの投稿

今までこのブログに訪れてくださった方々には、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
闘病記を書いている中で、多くの励ましやメッセージを介したやり取りがあったからこそ、今までやってこれたのだと思います。

ですが、それも今日で終わりました。
旅立つ為の準備作業に入ります。

デキスギからの死の宣告は、
緊急入院のときに言われた
2日、3日でした。
今日は、早くても、二週間でした。
デキスギは、サジを投げました。
大学病院にいることは叶わないそうなので、ホスピスを目指します。

つまり、旅立つ為の施設に入る事になりそうです。
生きる期間が短い事が幸いして
家族も助けてくれそうです。

週末、兄がくるそう。
そのとき、どんな顔をしてあっていいかわかりません。

でも、そのときの僕なら
涙の味を噛み締めていそうな気がします。

バースデーまで生きたかったなあ、せめて

2014.6.11 ユキ