何かが終わりになってしまう場合、決定的な出来事一つで決壊するというよりも色々な出来事が積み重なって最終的に積み重なったことにより引き金がひかれ終わりになるということがほとんどだと思う。
私も引き金となる出来事の前に積み重なった沢山の出来事があった。
いずれの出来事も私のクリエイターとしての力不足だった、という結論に至ると思う。
そこまで結果を出せなかった、才能がなかった自分がひどく悔しい。
同時に自分が何をしたいのか見失ってしまっていた気も今となってはする。
自分が協力していたのは、協力することで新しい作品をたくさん作ってくれて、それによってみんなが喜んで、救われる方が沢山いて、それが何よりも楽しかったし、それに尽力する姿が何より好きだった。
ただ、思ったようにいかないのも人生で、作った作品が思ったように伸びなかったりすることも沢山あり
それによってモチベーションも落ちてしまっていたのだと思う。
無理もないし、環境や交友関係を考えたら仕方がないなと思う気もする。
創作を頑張ったところで私に比べて得られる幸福は薄かったのだろう。
ファンに最近のやる気のなさを指摘されてひどく落ち込んでいる姿を見て、スランプなのだろうと思ったから本音を言うことが出来なかった。
「図星だったから、気持ちに刺さって落ち込んだのではないか?」
言ってしまえば何か変わっただろうか。
半年くらい前にもう創作を一緒にするのをやめたいと思ったきっかけもその直近で出た新譜だった。
申し訳ないが今までの作品と比べて熱量を感じなかった。
自分との創作にもモチベーションがない姿を見て、自分ではやる気を起こすことが出来ないのだろうと落ち込んで、もう創作を一緒にすることを辞めたいと相談した。
あの時は私の不安にフォーカスが当たってしまい、本人の熱量に対して指摘することが出来なかった。
そして今回はどれだけ今後私が努力しても、私との創作を熱量にすることがもう難しい絶望感を感じてしまった。
いや、楽しんではくれていたのだ。
ただ、それよりも楽しいことが沢山あって、もうこの創作に熱量を向けてくれないのだ、と
自分が悲しい気持ちになったのも、自分が努力している傍ら遊んでいる姿をたびたび見るようになってしまうことが増えたからである。当時は、実力差があるので自分は休みなく努力してやっと追いつけるくらいの気持ちでいたし、その気持ちでずっと頑張ってきた。
ただ、プライベートもなげうって努力している傍ら、遊んでいる姿をみて想像して平静でいられるほど自分は冷静になることが出来なかった。
よくよく考えれば努力するのも自己満足で結局私はそうしたい人間だっただけの話なのだ。それが正しいとかではない。
同じだけ努力しても得られる結果が違うことは多々あり、私に才能がないのならその分を時間で補わなくてはならないだけの簡単な話なのだ。
だからそれに対して憤慨するのはおかしなことなのだ・・・。本当は
でも欲を言えばその努力を見てもらっていると思っていた。その努力をみて自分も頑張ろうと思わせられるかと思っていた。
その考えが非常に傲慢だったのだろう。
自分に都合の良い妄想に他ならない。