銃創 | ロゼッタへの道

銃創

 このあいだ共同研究の出版記念パーティがありました。大学教育についての話なので、部数も限られているし、一般書店の棚には並ばないと思いますが、私も一章を担当しました。


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 そのパーティの席上で、同じく執筆者のひとりであるライト先生が来年度に早期退職されるという話を聞いて、とても悲しい気持ちになりました。陽気な方ですが、独特の優しいオーラを発していて、私がこの大学で一番尊敬している人です。学生たちの信頼も厚く、卒業してからも人生の悩みの相談に訪れる教え子が多いと聞いています。私自身もふくめて「センセー」と呼ばれる輩にはろくな奴がいないというのが世間の常識ですが、このライト先生には当てはまりません。現代の聖人です、というか本当の聖職者です。


 控えめな態度ですが、いつもはっきりと意見をいい、最近のアメリカ化する大学の現状を批判するライト先生は、とても学識豊かな人格者なのに(というか、だからこそ)、彼の意見が大学運営に反映されることはほとんどなかったそうです。

 実は私自身も本書でライト先生の原稿を読んではじめて知ったのですが、アメリカ生まれのライト先生は、若いころキング牧師の呼びかけに応えて黒人差別に反対する集会とデモに参加し、そこで警察官の恨みを買って頭に銃弾を撃ち込まれました。幸いにして脳に影響はなかったものの、そのことがきっかけになって反戦運動を経て、祖国を捨てることになったそうです。その後、来日して禅宗に帰依し、寺で修行して僧侶の資格を得た後、某大学で英語を教えられています。

 京都の暮らしについて尋ねると、京都に暮らすようになってから近所の人が挨拶を返してくれるまで毎日挨拶をしつづけていたら、20年後にやっと挨拶を返してもらえるようになり、いつまにか自治会長を任されるまでになった、と照れくさそうに話してくれました。

 「ライトさん、どこ撃たれたの?」と聞いたら、恥ずかしそうに「このへんかな」と言いながら、髪の毛のない頭の一部を指さしました。たしかにはっきりとした銃創があったのですが、ライトさんは私よりだいぶ背が高いので、これまでまったく気づきませんでした。
 
 二次会でも教育現場の話をいろいろ聞きましたが、どれも胸を打たれるような話ばかりで、自分はあと何十年生きてもこの人には及ばない、ということを痛感した一日でした。別れたあと、どうしてライトさんと会うとキリストを思い浮かべるのかを考えているうちに、あることに気づきました。きっとライトさんは、誰かから銃をもう一度向けられることがあったら、笑いながら近寄っていって相手を抱きしめるんだろうな、と。その話を知人にしたら、彼もやっぱり同意見でした。


 そんな方が来年に退職されるのは、ほんとうに残念です。