台本
「社会学者であるために必要な第一の条件は、社会生活を愛していることである。
また、どのような民族や国であれ、ひとつの場所に暮らしている人々に共感し、関心をもって探求することである。
さらに、もっとも恐ろしく野蛮と思われている人々の住処に、たとえそこが犯罪者の隠れ家であったとしても、そこに隠されている優しい思いやりを発見することに喜びを感じることである。
そして最後に、ある人が過去に犯した愚行や絶対的悪徳を、また彼が現在犯している過ちをけっして安易に信じないことであり、そして彼の未来にけっして絶望しないことである」
Tarde, Les Deux éléments de la sociologie, 1895
科学哲学者・人類学者のB.ラトゥールらが、ケンブリッジの「タルドとデュルケム:「社会的なもの」の軌道」 という催しで、自作の演劇をしたということはここ で聞いていたのですが、最近その台本を手に入れました。
この台本は1903年のパリで開かれた「社会学と社会科学」という会議でおこなわれたデュルケムとタルドのあいだの論争の記録にもとづきながら、両者のいろいろな著作からせりふをパッチワークしてつくられています(しかし、よく作ったよなあ)。10年前には考えられなかったことですが、世界的にタルドの再評価は着実に進んでいると思います。
ちなみに戯曲の元ネタになった記録のほうは、かなり緊迫したドラマチックな内容です。私も以前から紹介したいと思っていて、昨年には龍谷大学社会学部の紀要に拙訳で掲載し、また「模倣の法則」の解説でも使わせてもらいました。
引用した文章は、その台本でみつけて、私自身もオリジナルを読んだことがなかったので、「へえ、こんなこと書いてるんだ」とはじめて知りました。裁判所の判事でもあり犯罪学者でもあったタルドが、犯罪者についてどのように考えていたかがよくわかる一節だと思います。
そもそも私がタルドの翻訳を出そうなんて考えたのも、タルドの思想に共感したこともありますが、むしろその人柄に惚れ込んだことが大きいです。タルドは、社会学の立役者であるデュルケムとはいろいろな意味で正反対でで、人間の弱さや愚かさを裁くなどという態度からはほど遠く、むしろそういったものを愛しているようなところが随所に感じられます。 いずれにしても、社会学者の条件としてタルドがあげている内容は、現在の社会科学の研究者なら鼻でせせら笑うようなものばかりですが(おそらく1世紀前の当時も)、それでもこういうことを堂々と書くあたりが私としてはたまらなく魅力的なわけです。