その後 | ロゼッタへの道

その後


 釜ヶ崎の労働者による抗議運動はその後も続いています。


(4日目)

 雨の翌日のこの日も、夕方の抗議集会から始まり、稲垣氏が西成署の前でマイクを握って「警察は労働者に謝れ」と迫りつづけていました。他にも多くの支援者たちがマイクで警察に謝罪を求めましたが、警察はいっこうに出てくる気配がなく、ただビルの上から監視カメラを回すだけで、人々もしだいに怒りを募らせていきました。ほんと1000人くらいはいたんじゃないか、ってくらい人がいました。


 カメラを回す警官たち


 抗議集会

 玄関の奥に空き缶やゴミ、空きカップが投げ込まれましたが、音沙汰なし。さらに、門に火のついた段ボールを投げ込まれても、ただ消火するだけで、とくに応答する気配もありません。

 途中、ヤクザが稲垣氏を殴って労働者に取り囲まれたり、某テレビ局の記者が人々の怒りを買って取り囲まれたりする一コマも。


 段ボールに火

 集まった人たち


 しかし、夜の十時半過ぎになって、さすがに機動隊が出てくると、それまで貯まっていた人々の怒りが集中しました。けっきょく午前2時頃までつづいたようです。



(5日目)

 この日の抗議では、放水車によって片眼をつぶされた労働者のことも問題とされていました。私は午後9時頃から来たのですが、かなり早い段階から機動隊が表に出てきたという話です。それまでとは違った緊迫感が漂っており、機動隊もかなり殺気立っています。この日も1000人以上はいたんじゃないでしょうか。サミットが終わったせいか、警察のほうも労働者を断固として排除する方針のようでした。だいたい1500人規模の機動隊員が投入されたという話です。


 投石する労働者たち


 「機動隊は出て行け」と叫ばれるなか、小型の打ち上げ花火が打ち込まれる場面も。

 花火も登場

 しかし、今回は機動隊がかなり荒っぽい手段に出て、二方向から挟み撃ちするかたちで人々を取り囲み、中学生など捕まりやすい順から暴行を受け、連行されていきました。なかにはホテルの中に逃げ込んだ子供を機動隊が追いつめる場面も。これがさらに人々の怒りを買いました。


 西成署前の制圧後


 その後、いったん解散させられたものの、途中でまた子供が機動隊に捕まって連行されたのを機に、また人々の怒りが爆発し、マイクで抗議がおこなわれていました。


 しかし、老人としか呼べない(元?)労働者が、それまで私に向かって警察にいじめられた話を穏和な顔で淡々としていたのが、機動隊がでてきたら顔つきが変わり、のそのそ歩きで投石に向かう姿をみたときには、ほんとうに涙が出そうになりました。警察がそれまでどんなふうにこの人を扱ってきたかが少しわかったような気がしました。もちろん警察だけじゃなくて、一般の人たちも本質的には変わらないのでしょうけど。