抗生物質 | ロゼッタへの道

抗生物質

 この数日えらく体調が悪く、熱で寝込んでしまってました。


 とくに深い意味はない


 でも抗生物質のおかげで、なんとか今日は京都で研究会報告を終えることができました。ありがとう>ジスロマック。


 当日は、経済学の先生方から誘われて、一人だけ異分野からの発表だったのですが、いろいろと質疑応答があり、とても有益な時間を過ごさせていただきました。私の出身した大学院から経済学理論の大黒弘慈先生がわざわざ聞きにきてくださって、とてもびっくりしました。あんな発表で恐縮です(冷汗)。


 もちろんこれも。


 終わった後の懇親会でも、いろいろと情報交換をさせていただいて、異業種交流(といっても思想史という意味ではかなり近いのですけど)のよさを堪能させてもらいました。スミスも流行と慣習の相互交代について述べているなんて、はじめて知った。しかも社会学よりも歴史が長いので、教わることが多かったです。


 イギリス経済学史の研究者がたくさんいらっしゃったので、スミスからケインズ、ベヴァリッジ以降の福祉国家にいたる流れについてレクチャーを受けることができました。皆さん近年の新自由主義の復活には心を痛めておられるようで、社会問題に強い関心をもっており、こちらと話題が合うところがおおく、勉強になりました。しばらくイギリス社会思想を本気で勉強しようかと思ったくらい。


 飲み会では、懇親会費の割り方を例にしながら、アリストテレス以来の「配分の正義」が議論されるところは、さすがに経済思想家たちの集団ならでした。レストランで


 「各人の必要におうじて料理を配分するか、年齢におうじて配分するか、地位におうじて配分するか、財力におうじて配分するか、平等に配分するか、これは配分の正義の問題なんですよ!」

 

と大声で話しているおじさんたちの姿は、周囲からすると、ちょっと異様ではあるのでしょうけど。


 しかし、思想史や学説史がどんどん大学からなくなっているのは、経済学でも事情は同じようで、「最近の若手の学者にはマルサスが経済学者だって知らない人もいたよ」なんて話もありました。そりゃあ、ドストエフスキーが小説家だってこと知らない文学者と同じくらいやばいよね。社会学だったらコントを知らない社会学者はいないもんね。


 あと経済学の分野では、最近は人事にあたって「インパクト・ファクター」(論文の引用数)が大きな意味をもつようになってきたらしいのですが、実はこれ過去二年分の引用数しかカウントされないので、「みんな2年以内に自分の論文が引用されることを考えて論文を書くので、もう100年や200年前の話なんかどうでもいいって感じになってますよ」ということでした。


 さすが経済の時代、いい意味でも悪い意味でも、経済学は社会科学の先端を走ってるんだなとつくづく感心しました。