スカトール(2) | ロゼッタへの道

スカトール(2)

 話がそれてしまったので、ふたたび修羅の道へ。


 「うんこがなぜ臭いか」という問いにたいして、「それはうんこの臭いのする物質(スカトール)が含まれているからだ」という答えは、原因をその要素をもって答えています。


 ところで、「そのものが何であるか」つまり原因という概念は、古典的なアリストテレスの考え方によれば、次の四つの場合に分かれているといいます。


  • 質料因・・・そのものを構成している要素が問われているとき

  • 目的因・・・そのものがあることの目的が問われているとき

  • 始動因・・・そのものがそもそも何によって始まったのかが問われているとき

  • 形相因・・・そのものがどのように定義されているかが問われているとき


 例で挙げた回答は、「質量因」を挙げたものです。つまり、ウンコの臭いを構成している要素(物質)を挙げているわけです。


 ちなみに、以前大学の会議で「教養教育とは何か」という問いにたいして、委員の皆さんの回答は見事にこの四つに区別することができました。


例)教養教育とは何か

  • 知育・体育・徳育から成り立つもの

  • 若者が将来の社会をつくるためにふさわしい知を与えるもの

  • 中世の「自由七技芸」に始まり、19世紀の大学改革において・・・(略)・・・から成り立ったもの

  • 専門的領域の知識を活用することを可能にするメタレベルの知のあり方を教えるもの


 いずれも、それぞれ説明としては成り立つような気がしますが、その観点はまったく別ですよね。


 さて、子供のとき、同じ質問を父親とは別のおじさん(生物学の先生)に聞いたことがあります。


  私  「うんこってなぜくさいの?」 

  叔父 「だって、うんこがいい臭いだったら食べたくなって困るじゃないか」

  私  「そうだね・・・」


 というものでした。この答えは、とりあえず目的因によって答えていると考えてもよいでしょうね。つまり、この回答は裏を返せば「うんこの臭いがくさいことには目的があり、それは人間がその臭いをかいで食べないようにするためにそうなったのだ」ということだからです。おそらく、「自己に害があるものを不快感と感じるように人間の感覚がつくられているのだ」と言いたかったのでしょうね。


 ということで、今日はこのへんで。