自分のことが好きなれないというお悩みをよく聞きます。
わたしもそのことで長いこと悩んで来ました。
人の数だけ考え方や価値観があります。
さまざまな人がいて、あなたがいて、わたしがいる。
さて、自分のすべてが丸ごと100%大好きという人はこの世の中にどれくらいいるのでしょうか?
わたしにはわかりません。
自分が思う長所と短所、人から見える自分の長所と短所はちょっと違うこともあります。
自分が短所だと思っていたことが、他人に話してみたら「そんなことないよ、あなたが思っている短所は実は素敵なことだよ」と言われることもあります。
わたしは、おっちょこちょいで、そそっかしいことが短所で、そういう自分が嫌いだなと長年思って来ました。
他にも自分の中の嫌いな面はさまざまにあります。意地悪な自分が顔を出してくると嫌だなぁと思うし、怠けたい自分や、頑張れない自分、逃げたくなる自分は嫌いです。
自分の嫌な面や短所に向き合い続けてきて、その受け止め方が変化して来ました。
さて、話がずれました。わたしが短所と感じていることの一つである「おっちょこちょい」の話に戻しますね
仕事の重大な局面においては「おっちょこちょい」が表れると周りに迷惑をかけるので年を経るごと、より一層気をつけるようになりました。過去のわたしは過度なストレスで自律神経失調症とうつ病になりました。今は適度なプレッシャーを感じつつ、自分に負荷をかけすぎないように気をつけながら、気持ちを落ち着けながら、おしゃべりはほどほどに、集中力を保ちながら仕事に向き合っています。
ある頃から、この「おっちょこちょい」、人と人とのコミュニケーションにおいては役に立っていることがあるな、、、と思うようになりました。
わたしが「おっちょこちょい」をすることで周りの人の笑いを誘い、周りの空気がふっと緩みます。「おっちょこちょい」をして笑ってもらえる場であるなら、存分に笑ってもらっています。
「おっちょこちょい」な自分に向き合えば向き合うほど、他人のおっちょこちょいや仕事のミスなどにも寛容になれます。
自分の嫌いなところや短所に向き合えば向き合うほど、人としての器が広がっていき、人間としての深みが増していくように感じています。生きている限りその探求の道のりは続きます。
さて、自分の中の好きと嫌いをもう少し眺めて見たいと思います。
自分の中には好きなところがあれば嫌いなところもあります。日によってその度合いや感覚が変化し続けています。
一緒にいる人がどういうタイプの人であるか、ということによってもその好き嫌いの度合いが変化します。
もの静かな人と一緒にいると、おしゃべりな自分が嫌になることもあれば、話が弾んで満足なコミュニケーションが取れたなと思った日には、おしゃべりな自分でよかったと思います。
人の気持ちはうつろいやすいし、好きと嫌いもうつろいやすい。
うつろいやすいものに一喜一憂している自分を冷静に見られるようになってきて、そのことがだんだんと馬鹿馬鹿しく感じられるようになって来ました。
年を取って、だんだんとおばさん化して開き直っているだけかも知れませんが、、、
仮にわたしが「100%自分のことが大好き、嫌いなところはひとつもありません」という人だったならば、、、
自分ってすごいんだ、わたしはえらいんだという勘違いがエスカレートして、天狗になる一方だと思います。
そして周りが見えなくなる一方でしょう。
自分の中に嫌いなところがあるから成長・変化しようと思います。謙虚な気持ちになれます。
先ほどの繰り返しになりますが、自分の嫌いなところや短所に向き合えば向き合うほど、人としての器が広がっていき、人間としての深みが増していくように感じています。生きている限りその探求の道のりは続きます。
今自分が向き合っていることを前向きに捉えて、出来ることやる。
生きている限りどこまで変化できるのか?ということを見ています。