用事があったので久々に大宮に行きました。













紅葉が綺麗でしたヨ。








大宮にはたくさんの思い出があります。






33年前に横浜から大宮の近くに転居して以来、20年以上、買物、通学・通勤と大宮駅界隈でたくさんの時間を過ごして来ました。







33年前、せっかく横浜に家を買ったのに大宮に転勤になってしまった父。






父は、嫌がらせだったと言っておりますが、、、真実は神のみぞ知る、、、。







当時わたしは幼稚園の年長組。下に妹が2人居て、末の妹が生まれたばかり。






今よりも横浜から大宮まで電車でも車でもだいぶ時間がかかりました。







父の仕事は町工場などへの工具の営業。仕事が大変な上に通勤があまりにも大変、仕方なく家を買い替えることに。







けれども幼い子どもを抱えての休みの日の物件探しは容易ではありませんでした。





家探しの間、お隣のおばあさんがわたしと真ん中の妹を預かってくれたそうです。





なんとか見つけた家は駅からえらい遠い陸の孤島






当時不動産屋さんから「ここは今は不便だけれど駅が近くに出来ますヨ」と言われたそうなのですが、未だ駅が出来る気配ナシ、、、。計画はあることはあるものの、いつ実行されることやら、、、。











後々、妹2人とともに父に何度恨み節をかましたか知れませんネガティブ魂が抜けるチーン






最寄駅まで自転車をマッハで飛ばして20分。最寄のバス停まで歩いて15分、バスに乗って最寄駅まで20分。






最寄駅に着くと既にヘロヘロです、、、。






おかげで自然に囲まれた静かな環境で育つことが出来たのに、割と最近まで何もないことがつまらなくて仕方ありませんでした。






たくさんの周り道をしたけれど静かな自然環境と何もないことのありがたみに気づくことが出来ました。









そして性格が似ている父とはこれまで何度も何度も喧嘩しました。     










今のままの自分は大嫌い!
父と喧嘩したまま一生を終えたら後悔する!と思って内観するようになりました。







と言っても人間そんなに簡単に変われません、、、。時には再び喧嘩して、、、落ち込んで、、、また内観を繰り返し、、、昔よりずっとずっとずーっと穏やかな関係性になって来ました。





父は育ちで苦労しているし、気分屋だしで、未だに油断は禁物なのですが、、、そういう時は触らぬ神に祟りなしと思って近寄らない。














2015〜2018年、スピリチュアルを生業にしようと踏ん張っていた頃、これからは家族のつながりよりも魂のつながりが大事!!!と言う声に賛同出来ない自分が居ました。








確かに、この頃初めて会ったのに心の深いところでつながり合っていると直感する人たちとの出会いが数多くありました。








一方の家族関係は心が苦しくなることばかり。





心に蓋をせず率直に気持ちを受け止めるようになっていたからより苦しく体感が際立って感じられるようになっていました。




逃げたくなりました。





周りには実際に家族を捨てて魂のつながりで生きている人たちが大勢居ました。




怪しいことをしていると思われている後ろめたさから家族と(特に妹たちと)疎遠になりました。















そんなある日、心の声がしました。








この苦しみから逃げてはいけない。この苦しみに向き合い、乗り超えた先にこそ心・魂の大きな成長がある。





自分も家族も命がある間、出来ることをしなければ大きな後悔が残るだろう。














2018年9月のことでした。心の声に従って3年間作り上げて来た活動を手放しました。







夫にはびっくりされたし、憤慨もされましたが最終的には理解を示してくれて一緒に苦労の道を歩んでくれて居ます。








家族との関係はおかげさまでずっと穏やかになりましたが、この3年で家族の大切な人が1人、また1人と天に還りました。






人はいつか死にます。




死ぬことからは逃げられない。





生きている間に何が出来るか、何をするのか。












用事を済ませて氷川神社に参拝することにして参道を歩いていると、さまざまな気持ちや考え、過去の思い出が浮かんでは消えていきます。






どうにもスッキリしない感覚が何度も湧いて来ます。






過去の自分との対話、交流の時間。







過去の自分が思い出されます。仕事をやり遂げられなかったこと。自律神経失調症から鬱になってしまったこと。逃げてしまった後ろめたさ。頑張れなかった虚しさ。





瞑想をはじめるようになってからいろんな気持ちや考えが浮かんで来てもただそのままに眺め続けています。





これをするようになってからだいぶ楽。






気持ちを動かしている自分とそれを観ている自分が居て、そのうちにそれらが自然と溶け合って、地球や宇宙とも一体になっていく感覚になることも一度や二度ではありません。






そこにたどり着けるようになったのは自分の幸せだけを追いかけるのを諦めたからです。





自分の幸せを突き詰めて行ったら全体の幸せに辿り着きました。

  



恨むより祈る





嫌いな人に祈る、嫌われた人に祈る。







呪いそうな気持ちが湧いても祈りに変える。








周り道をたくさんしたからここに辿り着けました。













氷川神社は七五三の参拝の方がちらほらといらっしゃいました。







わたしも七五三は氷川神社でした。













大宮公園を抜けて護國神社にも参拝。





あの頃を生きた方々のご苦労を思えば生きて毎日ごはんが食べられるだけでもありがたいこと。










しかしながら、ここのところ頻繁にミサイルが飛んでくるし、ウクライナの戦争はいつ終わるのかわからない、、、。世界の各地で紛争が無くならない。










この国はどこに向かうのでしょうか





世界はどこに向かうのでしょうか







これまでのわたしは鬱にもなりましたし、不安や心配に心が何度となくかき乱されました。






2015年から内観と瞑想と祈りを続けてきたお陰で昔の自分よりびっくりするほど心が揺れなくなり、心に呑み込まれなくなりました。






心が揺れても元に戻るまでの時間が格段に早くなりました。






と言っても気持ちは今も動きます。





それが生きている証なのだと思います。




仙人を目指しているわけではないのだからこれでいいのだー。




何があっても平気で生きる境地にはまだまだ達していませんが、変化の多い不確定なこの時代を生きるにあたってあなたの気持ちを整えたり、心にスペースを作るお手伝いをさせていただけたらなと願っています。





祈る暮らしを分かち合いたい。





自分で自分を整える感覚を身につけましょう!!!





祈ることでこれまでの自分を超えて来ました。




一緒に超えよう!!!




変化を起こそう!!!











お読みくださりありがとうございましたお願い