わたしは、これまで、何かあるごとに気持ちがグラグラ揺れる自分がずっと嫌でたまりませんでした。
感情に振り回される自分をずっと何とかしたいと思っていました。
感情の取り扱いに関する本を読んだり、心理学の講座に通ったり、コーチングや、レイキヒーリングを学んだり。
いろいろやってきて、2015年からは、苦手で正直やりたくないなと思っていた瞑想を暮らしに取り入れました。
揺れる気持ちをただそのままに眺める
これまで、いろんなことをやってきた経験からすると、えっ?それだけでいいの?という感覚でした。
これならわたしにも出来るかも知れないと思いました。
長い時間瞑想が出来なくても、深く瞑想に入れない日があっても、自分がどう変われたか?どんな自分に気づいたか?ということをたよりに瞑想を続けてきました。
実際に、これがすごく良かったです。
瞑想は、高いお金を払って、どこかに習いに行かなくても、今すぐに出来ます。
呼吸に意識を向けるだけ。
いつもよりゆっくりを意識して、身体の力を抜いて、ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。
呼吸と呼吸にはけっこう間があるんだな、、、。
今日は呼吸が浅いなぁ、今日は深いリラックスした呼吸が出来ているなぁ、、、など、呼吸一つだけ取ってもさまざな気づきがあります。
心が落ち着かなくて集中出来ない時は、その状態をそのままに観ながら、また呼吸に意識を向ける。
浮かんで来る気持ちや考えは、深く追いかけずに、そこに呑み込まれないように、流れる雲を見ているように眺める。
心が乱れていて上手く出来ない日もあります。
次々とアイデアや考えが浮かんで来てしまう日もあります。
それはそういう日。
瞑想の状態に入れていない自分を責め立てずに、それをただそのままに観る。
何かを責める自分が湧いてくる日は、それはそういう日なんだな、、、とそのままに観る。
だんだんと気楽に気軽に自分のそのままを見ることが出来るようななってきました。
そうすると、あらゆることが当たり前に思えて来ます。
人間は感情の生き物だから、気持ちが揺れるのは当たり前なんだな。
これまで感情の浮き沈みに悩んでいたけれど、たくさん揺れたから今に辿り着けたんだな。
これまでの人生、周り道したようだけれど、これがわたしの人生なんだな。
わたしにとって必要な道のりだったのだな。
これでいいのだぁ。
気持ちが揺れることがあっても、また元に戻って来られるならそれでいいのだぁ。
↓↓↓の記事では、陸上選手だった為末大さんが、気持ちが揺れた時の復元力について話された雑誌の記事のことを書きました。
ある実験で、長年瞑想をしている禅のお坊さんと、瞑想をしていない人に突然後ろから猫の鳴き声を聞かせ脳波を測りました。
両者とも同じように気持ちは揺れるのだけれども、長年瞑想をしているお坊さんは揺れから戻ってくるまでの時間が早かったそうです。
人間誰しも気持ちが揺れるのが当たり前。
感情の揺れ動きは人間に備わった当たり前の感覚。
ある講座で、講師の方がおっしゃっていました。
1日の中で気持ちの浮き沈みを計測すると、人は毎日さまざな気持ちを経験していますと。
また、怒りや心配、不安などの気持ちが湧いた時、その気持ちがどれだけ長く続いているかを見てみると、ほとんどの人が5分にも満たないそうです。
人間は刻々と気持ちや考えが変化しているものなのかも知れません。
わたしはうつ病を経験しています。
振り返ると、今よりも深い深い落ち込みの中にあった時でも、その中で何とか楽しみを見つけて暮らしていたなぁと思います。
詩を読んでも、絵画を見ても感動出来なくなっていたことにショックを受けたこともありましたが、、、。
すべての経験が今につながっています。
お読みくださりありがとうございました