2022年も気づけば10月。
神無月(かんなづき)ですねぇ。
さて、本記事のテーマは
ゼロに意識を置く
先月ぐらいから、心がざわざわするような出来事が起きても、忙しくても、どんな時でもゼロに意識を置く感覚が浮かんで来ます。
宮沢賢治さんは、農民芸術概論綱要で以下のように述べました。
以下、農民芸術概論綱要より一部引用
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
引用以上
宮沢賢治さんがおっしゃるところの「一の意識になり生物となる方向にある」
生物となる方向がわたしにとってはゼロに意識を置く感覚です。
生物はただあるがままに生きています。
毎日生きる営みをただ淡々と続けています。
人間は感情の生き物、感情があることでさまざまなことに感激出来るのだから、それはそれで素晴らしいのだけれども、感情に取り込まれて辛いことも多々あります。
そこから距離を取って、ゼロに意識を置く。
感情だけでなく、さまざまな概念、価値観、考え方からも距離を取ってゼロに意識を置く。
そうすることでさまざまな気持ちや考えから解放されていく感覚を味わっています。