わたしは、長く付き合ったパートナーから、婚期を逃した頃に別れを告げられ、仕事を充実させようと転職したものの、閉鎖的な組織と上司の圧に耐えられず鬱になりました。
正規職員の仕事も失い、婚期も逃しました。
結婚して子どもを産んで、仕事とも両立させ、人生のステージを着実に積み重ねている周りを見ては焦りを募らせていました。
そして、焦れば焦るほど人生が上手くいかなくなって、親や家族やパートナーや上司など、周りを原因にして責めました。自分にも原因があるのに、、、。自分のことは棚に上げて。
ずっと「周りのせい」にばかりしていました。
と同時に自己卑下、自己否定の気持ちを強めました。親の理想に応えられず、幸せを実現できない自分は存在価値がないとも思っていました。
なのに同じくらい自分にはもっと出来るはずだ、こんなことで人生終わるのは嫌だとも思っていて、自己矛盾の固まりでした。
親(わたしの場合は特に父)はいつでも、わたしに対していろんなことを言ってきます。いちいち反応して、その度に、お父さんが悪い、と言い続けました。
内心では自分のせいもあるとわかっているのに、、、自分のことは棚に上げて、、、
これまでさまざまに周りのせいをやってきたけれど、その中でも「親のせい」を辞めるには勇気と根気が入りました。親のせいを言い続けているわたしは親に甘えていました。
問題や課題が生じた時に、人は原因を求めます。原因が見つかると、今度は責任を追求します。
これまで、いろんなものに原因を求めて、いろんなもののせいにしてきました。
親のせい、祖父母のせい、土地のせい、家のせい、友達のせい、先生のせい、先輩のせい、上司のせい、同僚のせい、組織のせい、社会のせい、国のせい、時代のせい、星のせい、霊のせい、妖怪のせい、過去のせい、過去世のせい、
など挙げ出したらきりがありません。
けれども、問題や課題をひもといてみるとその原因は一つではなく、複雑でつながり合っています。
そして、その原因は少なからず自分にもあります。その場に自分が居合わせなければその出来事は起こっていないし、自分が問題・課題と認識しているからです。何もなければ出来事に対して何も思わないですもんネ。
今も、完全に100パーセント親のせいを辞めたわけではありません。わたしにも、親にも、他にも、さまざな原因があるのだと思うようになり、もう少し詳しく言うと「親だけのせい」を辞めたということです。
原因は一つではなく、複雑でつながり合っている
学びと経験の積み重ねと、親とのぶつかり合いと、内観と、気づきと。このサイクルを繰り返して今に至ります。
親がこういった性格になったのにはさまざまな原因があって、親がイライラしていることにもさまざまな原因があります。わたしも40代後半になりました。
この先、親と一緒に過ごせる時間がどれくらいあるのかはわかりません。子どもの時から比べたら、着々と一緒に過ごせる時間は減っています。そう思うと以前のようにカッカとしなくなりました。
今はある程度、親との距離があるから「親のせい」を辞められたように思っているだけで、これからの人生のステージの変化とともに、また「親のせい」をしてしまうかも知れません。
今後、再び「親のせい」にしてしまわないためにも、自戒を込めて、これまでのことを少しづつ振り返ろうと思います。
つづく