本日4月29日は昭和の日。


激動の時代を生き抜いた昭和天皇の120回目のお誕生日。



生物学者でもあった昭和天皇。


上野の国立科学博物館では昭和天皇の生誕120年を記念して


昭和天皇の生物学ご研究が、6月20日まで開催されています。



残念ながら新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言発令により5月11日まで休館です。


「雑草という草はない」 生物学者・昭和天皇の姿―国立科博が生誕120年展



上記記事より一部抜粋


侍従長を務めた入江相政氏の「宮中侍従物語」によると、


65年9月、昭和天皇が那須で静養中に侍従らが皇居・吹上御所周辺の草を雑草として刈ったと聞き、


「雑草ということはない」と発言。


「どんな植物でも皆名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。


人間の一方的な考え方で、これを雑草と決め付けてしまうのはいけない。注意するように」と話したという。


 抜粋以上


漫画 昭和天皇物語を改めて読んでいます。



昭和天皇物語 一巻より



 


引用以上


昭和天皇物語は、半藤一利さんの『昭和史』だけでなく、複数の文献資料や当時の新聞などを参考にしながら漫画家の能條純一さんが大胆な解釈を加えながら描いています。


ノンフィクションでありながらフィクションの要素もあるということです。


であるからこそ、読み手としてぐいぐい引き込まれる感覚があります。


さて、引用したページに登場している、昭和天皇の養育係をつとめていた足立タカさん。


タカさんは約10年間昭和天皇の養育係を勤めたのち、32歳で鈴木貫太郎さんのもとに嫁ぎました。



鈴木貫太郎さんは第二次世界大戦を終戦に導きました。

昭和、平成、令和

昭和を振り返ると遠い昔のように思えますが、昭和生まれのわたしは昭和という時代に対して特別な想いがあります。

と言いながら

戦後生まれで学校では昭和史をキチンと習った記憶がありません。

駆け足で歴史を学んで、年度末にやっと昭和史にたどり着いたかと思いきや、時間が足らなくて駆け足でささっと習ったように思います。

先生の教え方や教育制度のせいにして怒っていたこともあります。

自虐史観についてアメリカを責めたことも。

いまは自分で自由に学ぶことが出来ます。

とはいえ、戦争の歴史を学ぶことは心が痛みます。

しかしながらその時代を生きていた人たちはもっともっと大変で心が痛く、命の危険に日々さらされていた。

亡くなった方が大勢おられる。

大切な方を亡くして悲しみの中から立ち上がった方々もおられるし、

悲しみのうちに自らの命を絶った方もおられる。

戦後生まれのわたしですが、戦争のこと、自分の心と身体で感じ取り、自分の頭でよく考えて、命のバトンを受け継いだ一人として何が出来るんだろうと折にふれ思います。

特別なことは出来ないけれど、知ったことや感じたことをこうやってブログの記事にしたり、いまは出来ないけれどゆくゆくはワークショップなどで分かち合うことなどを思っています。

雑草という草はない

とおっしゃった昭和天皇の命を見つめる眼差しに共感しています。

昭和天皇に対してさまざまな想いを持った方がおられることも感じ取りながら、改めて昭和天皇物語を読みながら昭和という時代を想います。