群馬県 桐生市で はっちゃんショップを営む 田村はつゑ(はつえ)さん( 83歳)

なんと、1人500円で 、はっちゃんが 朝6時から 5時間かけて 仕込みをした 手作りのお惣菜各種、15種類ほどが食べ放題!



お店は 
広さ 9坪の プレハブの建物で
座席数は 31席

もともと 魚屋さんでパートをしていた、はっちゃん。

62歳で魚屋さんを退職して、趣味の料理を生かして、総菜屋さんをはじめました。

そんな はっちゃんに、ある日 お客さんが、

「ごはんと味噌汁があれば、ここで食堂が出来るんじゃないかなー?」

と言いました。

はっちゃんは、近所にあった プレハブ小屋で、食堂が出来ないかなと思って 保健所に聞きに行ったら、

「大丈夫ですよ!お手洗いと水道があれば、お店に出来ます」

と言われ

「180万円かけて 水道つけたよ。へそくり全部ひっぱたいちゃったよ!」

こうして 始まった はっちゃんショップ。

近所の人が手が空いたときにボランティアで手伝いに来る。アルバイトもいる。

 (はっちゃんが77歳の時のテレビからの情報なので 今は 状況が違うかもね)



食べ盛りの学生は 安くしちゃうし

埼玉県熊谷市から来たお客さん 県外は無料だよって言ってタダにしちゃう

小さな子どもも タダにしちゃう

定休日の前には 残ったお惣菜 どんどんプレゼントしちゃうし

なんと

毎月 7万 赤字!

赤字は年金から補填(ほてん)してる

もう お金は 必要ない!って

すごいよねー。

かっこいいわー!

毎日、何もしてなくても、生きていれば、お金は出て行く。

お客さんが喜んでくれるのが嬉しい!

ただ、それだけで、朝早くからから 仕込みして お店で 元気いっぱい お客さんに声をかけ続ける はっちゃん。

元気にお店に立つ!という 気合いから 介護予防にも なっている。


はっちゃんは 57歳の時 、50ccのバイクで、日本一周の旅をした。

上州オバサン バイク日本一周 田村はつゑ って タスキをかけて!  

104日かけて、47都道府県を巡り、走行距離はなんと1万キロ。

子ども3人が育ち上がったら、一人で修学旅行をする!と決めていたはっちゃん。

15年かけて300万貯めた。

はっちゃんのご主人と、お子さんが 100万ずつ出してくれて、合計500万を持って旅に出た。

そのうち、130万円は普賢岳の噴火の災害支援に寄付して、広島の原爆ドームなどにも寄付して、旅の資金の半分以上の合計300万円、 寄付してしまったというからビックリ。

九州に行った時、宿が見つからず困っていたら 泊めてくれた人がいた。

各地での人から受けた親切、優しさが忘れられず

これからは 人に親切にして 生きていこう!って 思ったんだって。


はっちゃんの人生は苦労の連続だった。

10歳の時、母親が亡くなり、新しいお母さんが来た。

新しいお母さんに馴染めずにいたら、子守の奉公に出された。

16歳まで 子守をした。

桐生市は繊維の街で、当時景気が良かった。

お母さんから、

「そんなに景気がいいなら、お前働いてこい!」

と背中を突き飛ばされた。

勤められるかもわからないのに、親が はっちゃんの3年分の給料 1万円を前借りしていた。

親の借金を返すための3年間の労働。

23歳の時、会社勤めをしていた 3歳年上のご主人と知り合い結婚。

男の子2人、女の子1人、3人のお子さんに恵まれた。

家族5人のささやかな暮らしがはじまったが、ご主人のお給料だけでは生活が苦しかった。

朝6時から 魚屋さんのパート、夜11時まで ミシンの内職、毎日17時間も働いた。


はっちゃんのご主人は、はっちゃんが77歳の時に亡くなった。

若い頃から 話も面白く 男っぷりの良かった はっちゃんのご主人には、 愛人が なんと 6人もいた。

「心の中では もう何十回も 別れているけど、自分が至らないから、自分がお父さんを大切に出来ていないから、女持たれるんだな」

自分を責めるはっちゃん。

ご主人が亡くなる最後の時、

「悪かったなぁ 悪かったなぁ」

と泣いてくれた、ご主人。

「それで 全てを 許した。
今まで恨んで来たけど 今は何でも許せる。
我慢してて良かったなぁ」

と 涙ながらに語るはっちゃん。

学校にほとんど行ってないから 漢字が書けないはっちゃん、ひらがなで綴られた はっちゃんの人生のノートに こう 書かれていた。

日本一周した時も、今も みんなに助けてもらっています。

周りにボランティアで、やってもらいます。

赤字続きで、みなさんに助けてもらっています。

わたしは いつも ありがとうと 思っています。

人間は助け合いがあって、人間のつながりがあります。
 

「みんなと仲良く暮らせればいいなぁと思います」

涙をぬぐいながら 話すはっちゃん。

感激ですーえーんえーんえーん

「80歳を超えても 出来るだけこの商売をやりたいと 思います」

と77歳の頃  話していたはっちゃんは有言実行。

今も 頑張っているのです。


こういう形態のレストラン、福祉業界では「コミュニティレストラン」といいます。

儲け度外視で ボランタリーに運営がされている。

地域の人たちのボランティアによって支えられている。

営利目的では 全然ない!

テレビを見ればわかるはずなのに、なのに、なのに

はっちゃん 70代の頃から  各種テレビに出演なさってて ちょっとした 有名人

テレビの影響って 物凄い

テレビ放映の直後から 問い合わせや客が殺到する。

常連さんが来られなくなるし 大変。

以前 わたしが 働いてた スーパーが テレビに出るたび チョー忙しくなって 大変な思いをしたから テレビで有名になることの怖さを身をもって知った。

しかも その流行って 一時なの。 

仕入れ調整したり頑張って、なんとかお店を回して、波が去ると 前と変わらない感じになる。

小さくやってる お店が テレビに出て お客さんが 殺到したら 大変。

けど、はっちゃん 依頼があれば テレビに出続けている。

はっちゃんの生きる覚悟みたいなのが 伝わってくる。

けど、こんなに いろんなテレビに出てて はっちゃん大丈夫かな?と 思ってたら 

やっぱネットで叩く輩がいるんだねーえーん

まちの小さな 全国に そんなに数があるわけでもないコミュニティレストラン、

経済活動に、なんも影響与えないと思うけど、

ダンピングだの、周りの店が潰れるだのいう ツイートに いいねが2万とかついちゃってたんだって。。。

なんつー ことか。。。

全体を見て 少し 想像してみる 気持ちの余裕が ないんだろな。。。

ピョコタン チャンネル




はっちゃん批判のツイートしてる人、

ハンドメイドの作品が買い叩かれることへの、もやもやを はっちゃんにぶつけているのでは?

自分が売れないのを棚に上げて、 はっちゃんに嫉妬にすんじゃねー!

はっちゃん批判が はっちゃんの耳に届いたら 可哀想じゃないかー!と 愛のお説教をしてます。

うん うん ものすごく よくわかる。

こんな 苦労して いまも 頑張って 生きざまを見せてくれているはっちゃんに、遠巻きに 文句言って はけ口にするのって、なんだか 悲しいな。

それくらい ストレスが 溜まってるのかなと思うと それも 悲しいな。

10歳の時から働き続けて、結婚後、子育てしながら毎日17時間も働いて、ご主人には6人も愛人がいて、大変な苦労を乗り越えて、全てを許して、

そして
みんなが仲良く出来ればいいなと思います。

と語る はっちゃんを 目の前にしたら 文句なんて 言えないよね。。。

ほんと よく 知らないで 言ってるんだろな。

尊敬できる大人との出会いがないまま 大人になった人なのかもしれないし。。。

うーん 考えさせられます。

優しさ、親切、助け合いの心が、広がりますように。

寂しい心が ほどけて あったかく なると いいんだけどなぁ。

わたしも 人との関係で たくさん 寂しい思いもしたし 悔しい思いもしたけど 

やっぱり 人とのつながり、親切 優しさで 癒されている。

人とつながることを あきらめないで欲しいな。

あったかい気持ちの輪が 広がりますように。