父の仕事を受け継ぐことが誇りに思うようになったワケ | 【相見積ゼロ】契約ゼロから売上2600万円を実現させる!ホームページライティングの秘密

【相見積ゼロ】契約ゼロから売上2600万円を実現させる!ホームページライティングの秘密

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『43歳以上の社長さん専門!』

号泣ライター&魂のインタビューの

秋田俊弥です。


今回ご登場いただくのは、福井県でリフォーム専門

の工務店を経営する石橋直巳さんです。


二代目で、父親の仕事を受け継ぐことをかたくなに

拒絶していた人が、父の意思を受け継ぐことに誇り

を持てるようになった、物語です。


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こんにちは!福井県福井市で住宅リフォーム工務店

「アイ・サン・ホーム」を経営している、石橋直巳です。

わたしは、創業者の父の会社を受け継いだ2代目です。

父の意思を受け継いで仕事をしていることに誇りを持て

るようになりました。



なぜ、わたしが、住宅リフォームの仕事で、「お客さんによろこんでもらいたい」と思えるようになったのか?その理由を聞いていただけますか?



【創業者の父の長男 「比べるな!』】


たしは、福井県福井市の田舎で育ちました。父は

裸一貫で工務店を立ち上げ、創業40年の歴史があ

る、福井県で有名な建設会社にまで成長させました。


両親とも共働きで、わたしは、じいちゃんばあちゃん子

として育てられました。

両親と一緒に何かした、という記憶がほとんどなく、
特に父との記憶は片手でも足りてしまうほどしかあり

ません。


わたしは小学生の頃、勉強ができず、それでも長男

ということで、

「こんなんやったら、社長になられんざ」
「あんたは石橋家の跡取りやでの」

と、ばあちゃんをはじめ、回りの人から言われ続けま

した。


小さいながら、いつも心の中で、思っていたこと。


「(父と)比べるな!」



【父と違う道へ 「帰ってこい!」】


さいころから父の建設会社は継がないと思って

いました。大学は、「福井から出たい」一心で、関東の

大学を選びました。専攻は、父の“建築”とは違う“土

木”の道を選びました。


「土木は、建築よりスケールが大きい。オレは、オヤジよりデカイ仕事ができる」

わたしなりの父への小さな反抗心。



大学卒業後、そのまま東京で就職し、土木の会社に

入りました。27歳の時、バブルが崩壊し、会社の業

績も悪くなり、会社に残るか出るかという状況。


そんな時、福井の父から、急に「帰ってこい」という連絡がありました。



【自分がつくった会社 「この会社の初代だ」】


うして急に?あれほど「お前は好きな事をやればいい」

って、言っていたのに・・・
叔父の専務まで「早く帰って来い!お前は長男だから、

家を継がなければならない。お前は家を捨てるのか?

何でわからんのや!」と声を詰まらせて説得するので

す。


それで、わたしは、嫌々ながらも、“なにかの力”に

引かれるようにして福井に帰ることにしました。


東京はすでにバブル崩壊。福井ではバブル真っ最中

でした。わたしと父には温度差があり、福井もいずれ

バブルが崩壊する、と言っても理解してもらえません

でした。


ところが、会社の状況は悪化。「こんなやり方をしてい

ていいのか?」と思い、父にローコスト住宅の仕事を新

たに始める提案をしました。最初、父は「プライドが許

さん」と反対していましたが、「別会社ならいい」と納得

してくれました。


それが平成9年に設立した「アイ・サン・ホーム」です。


くの人に尊敬されていた父。その父にいつもコン

プレックスを感じ「オヤジには勝てん」と思っていたわ

たしには、自分の会社を作れたことで、二代目として

の呪縛から開放された気持ちでした。


「よっしゃー!この会社の初代だ」
「これでオレも一人前になれる。オヤジからみとめられる」



【父の病気 「わかった!オレ、社長継ぐでな」】


イ・サン・ホーム設立後、間もなく、元気だった父

が病気になり入院。癌でした。父の会社を見るために、

自分で作ったアイ・サン・ホームは、開店休業。


医者からは「あと一年ですよ」と診断。父が亡くなると

いうことを信じたくありませんでした。また徐々に具合

が悪化し、情けないオヤジを見たくない気持ちでした。


世の中はデフレ真っ最中。会社の状況が益々悪化。

そんな時、今まで弱みを見せたことのない父が申し訳

なさそうにある株券を出してきました。


「すまんな。これ足しにしてくれや」

と、病床でもなんとかしなきゃ、何とかしてやらなくて

は!と思ってくれていたんですね。父の気持ちが痛

いほど伝わりました。


その時、初めて

「もうオヤジいいよ。心配すんな。オレ、会社継ぐ

でな」と口にしている自分がいました。


それから一週間後、父はベットからがばっと起きて、わ

たしの手をしっかり握りました。それが父との最後の会

話。最期の挨拶でした。




【父の会社をつぶす 「あんた冷たいひとや!」】

の会社を継ぎましたが、会社の赤字は膨らみ、最

終的に会社を清算するために、社員の首を切ることを

決断せざるをえなくなりました。


「やだなぁ・・・」という罪悪感。


その後、父の会社を閉め、毎日、負債の処理に明け暮

れました。
父の期待に応えられなかった、という気持ちでいっぱ

いでした。


「オレ、かっこわるいなぁ・・・」


そのように気持ちが塞いでいたので、ある日妻に言い

ました。


「今なら1,000万円あるから、持って出て行っていいよ」


その時は妻はなにも言わず、黙って話を聞いていまし

た。それが精一杯の自分に出来る、優しさと責任だと

思ったんです。


ところが、数日後、親戚の叔母さんから、こっぴどく叱

られました。


「あんた、冷たいひとや!」
「なんで、苦労するけど一緒にやってくれ!と言えないんや」


最初、わたしは、「あんたになにがわかる!」と腹が立

ちました。
でも、叔母さんの言葉をかみしめていくうちに、素直に

妻に、


「借金まみれになり苦労するけど、一緒にやってくれるか?」

と口に出すことができました。


その後の妻の口から出た言葉、

「いいよ。
 人生いろいろあるで、面白いんやがの」


この言葉を聞いた瞬間、
わたしは涙が出そうになりました。そして、思いました。

「こいつには勝てんわ・・・」



【また社員を切った 「オレなんていらない・・・」】


の会社は閉鎖。自分で作ったアイ・サン・ホーム

一本で仕事をしましたが、楽しくないんです。会社を閉

めても、「だから社長はイヤだと言っただろう」「(だから

(父と)比べるなと言っただろう」という気持ちでいっぱい

でした。


今まで家を建てて頂いたお客さんのところには怖くてい

けない。新しいところにも行けない。ある日妻から言わ

れました。「もううちお金ないよ」


正直、「もうオレでは無理」と思い、社員に退職金を払い

辞めてもらい、会社を縮小しました。


「またか!会社つぶして」
「オレなんていらない・・・」




【わたしの仕事への想い 「お客さんに喜んでもらいたい」】

から、「あんた、これからどうすんの?」と聞かれ

たとき、「いい加減ヤメたらどう」と聞こえ、つらかったのです。


ところが、妻から、「OBさん(すでに建てて頂いた方)

回ってみたらどう?」と提案されました。「どうするの」

とは、「もうヤメたら」という意味では、なかったんだ。


「あなたがやると決めたんなら、いいじゃない
どうしたいか言ってくれないから、心配だったの」

妻のこの一言で、もう一度ゼロからやってみよう、と

決心しました。


父が建てたお客様で、初めて訪問するお客さんのと

ころにも、「ご無沙汰してます!」と思い切って、挨拶

に行きました。


そしてある日、わたしが初めて「営業」したお客さんの所

に訪問した時のことです。

奥さんから言われた言葉。

「となりの奥さんのうちを建てた会社なくなるの。
 わたしは、石橋さんがいるから安心」


この言葉を聞いて、

「オレ、いてもいいんだ!」
「オレ、いなきゃいけないんだ!」

とリフォームの仕事をしている自分の存在価値を、初めて“みとめられた”のです。


わたしは、会社をつぶしたのは、
「オレのせいじゃない!」
「オレは努力したのに・・・」
と自分を守る言い訳をしていたことに気づきました。


「なんでオレが二代目なんだ・・・」と、自分のことしか考えていなかったのです。

お客さんの言葉をきっかけに、自分がみとめられたことで、
「どうやったらお客さんによろこんでもらえるか?」
ということを考えるようになりました。



年、父の代からお仕事をさせていただいている

Kさん(会長)から、事務所の小さなリフォームで呼ば

れた時のこと。


「僕は、いい仕事したいんです。お客さんに喜んでもらいたいんです。」
と、わたしは、自信を持ってしゃべっていました。


今年の3月末。Kさんから「ちょっと来てくれる?」

と電話がありました。


Kさんのところに伺うと、
「6月に事務所の移転をするので、今回の工事は、

“特命”で石橋さんに頼むわ」と言われました。


正直、「なんでオレなんかがこんな大きな仕事やらせてもらっていいのか?」と思いました。


ところが、Kさんの一言で、勇気がわいたのです。
『今回の工事は、社長(息子)だけではなく、社員の気持ちをひとつにしたい。「お客さんに喜んで欲しい」という石橋さんを見込んで、あんたに頼むわ』


それから3ケ月。プレッシャーと戦いながら、「どうした

らKさん(会長)、息子さん(社長)、社員の方が感動

してもらえるか」だけを考えて、仕事をしてきました。


6月末に無事工事も終わり、完成お披露目会で、会

長であるKさんが最後に絞めのご挨拶。


「わたしたちもお客さんに感動を与えること。石橋さんを見習って欲しい。」


わたしは涙をこらえるので必死でした。


お披露目会が終わって、社長さんだけでなく、社員の方々からも
「石橋さん、今回はありがとうございます!」「感動しました!」
と声を掛けていただき、感無量でした。


「やっと、ここまで来れた」



翌日、Kさんにお礼のお電話を掛けたときに、こんな言葉を言われました。


「石橋さん、君はオレなんかが仕事をやらせてもらっていいのか?って自問自答していた、って言ってたけど、
あんただからこの仕事を頼んだんだよ!みんな喜んでいるし、感謝している。
だから、もっと自信持っていいよ!」


もう、電話口で、わたしは声になりませんでした。

今年の6月2日の父の13回忌に花束を贈ってくださっ

たのも、父の代からお仕事をさせていただいたKさん

でした。


Kさんの言葉を聞いて、
「僕は、先代の社長でもある、親父に誉められたことがなかったんです。
 僕は、親父にただ、誉められたかったんだ!ということが分かりました!」

とわたしは、初めて正直に話すことができました。


それを聞いたKさん。
「私の言葉は、君のお父さんからの言葉だよ」



祖代々、由緒ある石橋家の長男だから、と言われ続けたわたし。
父に「帰ってこい!」、と言われ渋々福井に帰ってきたわたし。
「なんで、オレはこの仕事を継がないといけないのか」と疑問に思っていたわたし。
ずっと父に「オレが社長でよかったか」、と聞きたかったわたし。


先代の意思を継いだ「自分がいること」が、お客さんには安心だ。
「父が建てたお客さん」によろこんでもらう仕事ができることが、
わたしにはうれしい。

このことをわたしはやっとわかりました。


それからです。「わたしたちの想いを受け継いでくれる

人がいて安心」とお客さんが思ってくれて、おかげさま

で、仕事が順調に回るようになりました。

父の代からのお客さんに支えられて、ここまで来ることができました。


わたしは、わたしがいることでお客様に「安心してもらいたい」、と想っています。


これからもこの福井の地で、家を建てたお客さんの想いを受け継いで、
「よころんでもらえる」ことを目指してまい進していきます!

石橋 直巳



<会社案内>
アイ・サン・ホーム有限会社   代表取締役 石橋 直巳

〒918-8067  福井市飯塚町6-31
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