迷いが生じたときや方向性が見えなくなってきたときほどはじめにたちかえると気づくことがあります。




貫井笑店み亭ニコニコです。




仏教との縁を振り返っています。



その1

その2



子どもの頃、何度も読み返していた伝記マンガ『ブッダ』。




印象に残っている場面がいくつかありますが今日は特に印象に残った場面をご紹介しますネ。




王家に生まれてもどこか満たされない想いを感じていたブッダ。




ある日、東の門から出かけると老人に、また別の日に南の門から出かけると病人に、さらに別の日に西の門から出ると葬列に出くわします。




老い、病気、死、避けることの出来ない現実を目にして思い悩むようになります。




そして、北の門から出かけると修行者に出会います。出家することこそが自分の道であり、修行を積んで真理を得たい!とお城を出て行きます。




苦行に明け暮れた後、静かな瞑想の時間を経て、ついに悟りを開きます。




教えを説いて回るブッダの元を、ある母親が尋ねてきます。




母親は可愛い盛りの息子が死んでしまい、深い深い悲しみの中にあります。




母親はブッダに『なんとか息子を生き返らせて欲しい』とすがります。




そんな母親にブッダはこう言います。




『これまで死人を出したことのない家からケシの実をもらってきなさい』と。




必死になって家々を回る母親、訪ねた家にケシの実はあっても、これまで死人を出したことのない家はありません。




『うちではいつ誰が亡くなった』また別のうちでは『いつ誰が亡くなった』と家々で身内の死について聞かされます。




そこで、母親は悟ります。『誰もが大切な家族の死に出遭いながら生きているのだと』




大切な人の死ほど受け入れ難い現実はありません。




悲惨な亡くなり方や、加害者がいるような死の場合はなおさらです。




何年経っても死が受け入れられず悲しみにくれている方々のニュースを見るたびに心が痛みます。




『死を受け入れる』と文字にすれば簡単なことですが、実際には受け入れ難い死というものが存在するのだと気づかされます。




しかしながら人は必ず死にます。わたしも、あなたもです。








はじめにたちかえってみると、仏教の教えがわたし自身の生活のベースにあるなぁと気づきます。この世は苦しみに満ちていると説くブッダの教えがしっくりきます。




世の中を生きるには苦しいことがたくさんあります。



けれども日々、心と身体を整えながら、希望を見つめながら、明るく力強く生きて行きたいナと思います。




これまでの人生、何度も何度も、自分の人生をあきらめたくなりました。




どんより落ち込んで、コンコンと寝こんで、落ち着いた頃にむくっ!!!と立ち上がる。




浮き沈みを繰り返しながらも生きていく。




以前より浮き沈みの幅が小さくなってきたし、沈んでから浮き上がるまでの時間が格段に早くなりました。




これからも命が続く限り、心・精神がどれだけ成長できるか、ということを観ていきたいです。自然体で、ありのままの自分を生かしながら。




コロナ禍に入ってから中村元先生の本を読んだり、原始仏典の教えから人間としてのブッダにふれています。




ブッダにまつわる奇跡的な言い伝えはたくさんありますが、それよりも、ブッダのとらわれのない広い広い心と、出会う人、一人一人に差別なく温かなこころで接し、本人の自発的な気づきを促す様子に深く共感します。




世話焼き(おせっかい)なところのあるわたし、お客様との関わりを、その都度振り返り、これからも支援の質を上げて行きたいです。







募集中のセッション


あなたとわたくしみ亭とで対話しましょう♫
瞑想を交えることで深い所からの本音に気づきます。




あなたとの亭&み亭とお話ししましょ♫
「3人からが社会です!」と生前シャンタンさんがよく言ってました。本音を言いにくい世の中ですが、ここでは安心して話したいことをお話しくださいネ。秘密は守ります。




お読みくださりありがとうございました。




貫井笑店 み亭より