「ストーリー」への拘りはどこまで?②(終) | イコラブとてっぺんまで(イコラブ応援ブログ)

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アイドルグループ「=LOVE」(イコラブ)への思いを気ままに書いています。「イコラブをてっぺんまで」ではなく、一緒に頂点を目指したいと思い、このタイトルにしました。イコラブを愛する方はもちろん、これからイコラブを知りたいという方にも読んで頂けると嬉しいです。

こんにちは。

 

いよいよ今年も残り少なくなってきました。多くの方と同様、年末年始は9連休ですが、旅行や帰省の予定も無く、暇なお休みとなりそうです。以前は実家に帰省していたところ、コロナ禍でそれが途切れてしまいました。今となっては子供も社会人となってしまい帰省は1人きりですが、それならばわざわざ高速道路が渋滞する年末年始に帰らず、もっと別の空いている時期で良いのではとなったのです。静岡ですから、その気になればすぐ帰れる距離ですからね。じゃあと言うことでぶらりと旅行にでも出掛けようとしても、この時期ですから、コストが高い&混雑しているのは必至であり、これまた行く気になれません。結果として自宅で普通に過ごすお休みに。ウオーキングをしたり、ゴルフ練習にでも行って時間を潰したいと考えています。

 

※わざわざこの中に突っ込む気になれません…

 

さて、前回記事の続きです。自分がこれまでイコラブ応援で拘ってきたグループの「ストーリー」ですが、それが全てとなると色々上手くいかない事もあり、「持続可能」なヲタ活を目指す上で、少し考え方を変える必要があるのではと思い始めていると前回は書きました。

 

モチベの低迷により、イコラブの事を考える時間が辛い夜。これまで円盤やMVを観ていたのですが、それも苦しくなり、「推し事」以外の動画を検索する機会が増えました。そんな中でたまたま見つけた往年の名ドラマ「3年B組金八先生」の切り抜き映像。私も子供の頃、再放送を良く観ていたので懐かしさに浸りつつ視聴していた訳ですが、その中でギクリとする場面がありました。

 

その放送回のタイトルは「受験戦争に消えた命」。金八先生が教える中学校に通うある女子生徒。クラスメイトとの恋愛の末、15歳にして子供を宿すことになるのですが(一定年齢以上の方にとって、こう書くとピンと来る方も多いかと)、その兄は東大現役合格を狙う受験生でした。父親の入れ込みようも半端なく、中学生で妊娠した娘や、いつもオドオドしている妻を無視して、息子の東大合格に全てを賭けています。当の息子も傲慢と言えるほどの自信でしたが、まさかの不合格。悲観した息子は走って来る鉄道に身を投げ、若い命を散らしてしまうのでした。

 

それを受け、父親は大いに混乱するのですが、それは子供を失った悲しみと言うより、自分が入れ込んできた思いを果たさず死んでしまった息子への怒り。様子を見に来た金八先生の前で、「自分も殺してくれ」と絶叫するのでした。曰く「あいつは東大にさえ入れば幸せな将来が待っていたんだ。それなのに勝手に死んで、俺の夢をぶち壊しやがって…」(大意)。まあ、1980年の放送当時は受験戦争が今より遥かに激しくて、一流大学を出て一流企業に入る事こそが唯一の正解と言った価値観が強く、そんな時代背景からややデフォルメされた感もありますが、それにしても「随分勝手な言い分だな」と思いました。「いやいや、勝手に自分の拘りを押し付けるなよ」と。最後は子供のようにいじけて、布団を被ってしまう様は滑稽に思えるほどでした。

 

 

ただ、これって「ストーリー」の押し付けでもあるんですよね。その事に気づいた時、私は「滑稽だ」と笑えなくなりました。自分も同じような「押し付け」をイコラブに対して行っていないかと…。誰かの夢や目標を応援する事は素晴らしいと思いますが、それが高じて自分の全てとなってしまい、その事であらぬ方向・心境に進んでしまったとしたら…。色々考えさせられる一場面でした。

 

やはり大切なのは「バランス」なのでしょう。前記事でも書いたとおり、私は今更「ストーリー」への拘りを捨てる事は出来ません。これは心に自然と湧き出る気持ちでもあり、捨てようと思って捨てられるものでもありませんからね。それに「ストーリー」への拘りは、自分の応援モチベを大いに高めてくれる一面もあります。

 

しかしそれを全てとはしない事、そして叶わない事だって充分あり得ることを常に心に留め置く様に努めたいと思います。拘りは捨てないけど、「ストーリー」の完結を全ての目的とせず、「収まるところに収まる筈」と時間の流れに身を任せたいです。モチベが上がらない期間でも、推し(舞香ちゃん)の発信があったり、SR配信で喋るメンバーの姿を観ただけで、冷え切った心に熱がじんわりと宿る事がありました。どんなに落ち込んでも、ヲタクとしての「本能」までは失っていないと少し嬉しくなったものです。

 

 

「ストーリー」に拘ると、常に行く末ばかりが気になってしまいますが、今起きている小さな事でも大切に受け止めたい、そんな事も思いました。幸い、2月からはツアーが始まり、18thシングルもリリースされます。新曲MVも解禁され、「現場やイベントが少ない」とボヤく事は無くなりそうですから、そんな中で見つけた幸せや、感じた想いを大切に、今の楽しみに先ずは身を置きたいです。先週声出し復活の記憶を辿った記事を書く中で、再びコールが出来る事を夢見た日々を思い出しました。それが叶った「今」を楽しまないと、3年半我慢した時間が無駄になってしまうのです。「ストーリー」や「未来」の拘りは持ちつつも、余計な事は考えずに「今」を楽しむ。その事で上手くバランスを取っていくのが、来る年のヲタクとしての目標です。どこまで出来るか分かりませんが、のめり込み過ぎるのではなく、客観的に自分を見つめる姿勢を保ちたいと考えています。

 

もう1つ、バランスを取り、平静を保つために新たに心掛けようと思っている事があります。それは姉妹グループ現場への参戦。先週の記事でノイジョイにも俄かに関心が湧き、これまで中断していた現場通いも再開すると書きました(ノイミーも、ニアジョイも「周年」に行きます)。ノイジョイに関しては、イコラブとは違い、「ストーリー」への拘りが少ない分、余計な事を考えずに目の前のパフォーマンスを楽しむことが出来る一面があります。もちろん両グループともに、行く行くは大きくなって欲しいと願っていますが、先ずはそれよりも素晴らしい公演を見せて欲しい欲求の方が勝っており、ある意味「健全」な状況にあります。イコラブ現場だけの参戦とすると、どうしても暇になってしまう時期があり、その事で諸々不満を溜め易くなりますが、ノイジョイ現場を含めることで、そうした期間が少なくなり、平静な心を通年に渡って保てるのではと期待しています。

 

 

以上、2回に渡って「ストーリー」への拘りに対する是非と、今後の姿勢について書きました。繰り返しとなりますが、「ストーリー」への拘りは捨てきれませんし、引き続き自分の中で大切にしていく事は変わりません。ただ、それを全てとしない事、自分の思う通りに「ストーリー」が進行しない可能性もあり得る事、この点に留意して上手くバランスを取りつつ、姉妹グループ現場への参戦を通じて、イコラブに対して平静な気持ちで応援を続けていきたいと思います。ストーリーを全てとすると、それが成功裡に完結しても、その後のモチベが見出せない危険性がある事も見逃せない事実です。

 

上記の「金八先生」ドラマ。クラスメイトの兄の死を生徒に伝え、命の大切さを諭す中で、先生はこんな言葉を投げかけます。「お兄さんも、東大に入って何をやりたいのかそれがわかっていたら、もう1年待てたはず。だけど、彼は東大に入ることだけが目標だったから、あれだけのことに耐え切れず死んでしまった」。自分が拘る「ストーリー」。本来は「てっぺん」を目指す中でたくさんの楽しみや幸せを味わい、ヲタ活を充実させるつもりが、いつしかストーリーの完結だけが全てとなってしまい、その中で自分が何をしたいか、メンバーの幸せとは一体何なのかが抜け落ちてしまったのかも知れません。ヲタ活の基本に立ち戻ると、苦しさやストレスを感じる姿勢は本末転倒であり、非日常の喜びを見出しやすい心持ちとする事が肝要なのです。

 

「収まるところに収まる」、この気持ちを来る年のヲタ活において忘れないようにしたいと思います。(終)