本来はもう少し日が傾いた頃に行く予定でしたが、何せお墓参りが予定外に短縮になっちゃったのでまだまだ人の多い時間のお参りになってしまいました。


何度となく映像化された悲劇。

誰のを見たかはっきりした記憶はないけど、まぁ泣きますよね…。


8歳と3歳年の離れた弟がいるのも影響が強いのかもしれません。

今はすっかり母親の年代ですから、昔より涙腺が弱ってヤバかった。



白虎隊についての説明は省きます。

彼らのここ飯盛山にたどり着くまでの経緯やルートもちょっと検索すればすぐに出てきますし、願わくば、日本人なら誰でも知ってて欲しい話です。


標高は約300m。

階段がけっこうキツイので、急勾配ではありますがエスカレーター(有料)がついてます。




ラクチンだけど、ふくらはぎや脛にキマス(笑)。


お山のてっぺんまで行くと、そこに白虎隊19士のお墓や慰霊碑等々があります。

お線香を求め、墓前に手向けました。

きれいなお花が飾ってあります。


正面のお墓は、自刃して果てた少年たちのもの。

サイドのお墓は、戦で落命した少年たちのもの。


墓石に、亡くなった年齢や、自刃なのか戦死なのかが彫り付けてあり、胸が苦しくなる想いです。

涙を堪えるのに必死でした(堪えきれず泣いてましたけど…)。


しかし、まぁ、観光地ですからね。
にぎやかに来る人もいるし、知ってか知らずか、はたまた文化の違いだからか、お線香の煙がくゆるお墓をバックにセルカーで自撮する人もいたりして…。

やっぱり、もっと人が少なそうな時間帯に来るべきだったなぁ~とたいそう反省しました。


お墓のある広場から山肌にそって歩くこと数分。

視界がぽっかり開けるところに出ます。


あの日、彼らの目に映ったのは燃え盛る炎と煙だけだったのでしょう。

わずかな望みもなく、
主君への忠誠心のうちに、この場で自刃して果てたわけです。



思ってた以上に、お城が遠いんですよ。



パッと見ただけではどこにお城があるかわからないでしょ?
(まぁ、当時と違って高層の建物が建ってるせいもあるでしょうけど)



実際、隊士たちの中には、このままお城を守るために玉砕覚悟で戦火へ身を投じることを望む人もいたそうです。

っていうか、きっとみんな主君を守るためならなんだってできる!って思いをもって戦っていたはず。

大人が一人でもいたら、こんな悲しい結末を迎えていなかったかもしれない。


しかし、いずれにせよ悲しい結末を迎えてしまいました。


最期に思い浮かんだお城はどんな姿だったのか…。




彼らの御霊が、今はお殿様のそばにあって穏やかで安らかであることを願うばかりです。



エスカレーターの入り口付近には、白虎隊の記念館があります。
各関係者の資料や、当時の武器など、たくさん展示してあります。
じっくり、時間をかけて見ていただきたいです。


個人的に感じたのは、会津の展示では殊更に新政府軍だの旧幕府軍だのと煽らず、ただ淡々と会津戦争の事実を伝えてるような気がしました。


こういうとこもブレないんだなぁ~と。

会津藩は一貫して徳川門下であり、天皇・皇室を敬ってしかるべし!って。


戦には大義名分が必要とされるけど、不可解な理由で戦争に巻き込まれた会津の人々にとって、150年前のあの戦争は忘れられない、忘れてはいけない記憶なんだと思います。



白虎隊のエピソードとして一つだけ

お山の中に、さざえ堂といって国指定の重要文化財がある旧正宗寺があります(のちほど別記事にします)。

その境内の片隅に、会津地域の水源である猪苗代湖から連なる水脈があります。



白虎隊の隊士たちはあの水路を辿ってここへ落ち延びたと言います。




旧暦の8月とはいえ、山の水は冷たいです。

本当に、どれほどの覚悟と決死の思いだったのか…。


ただただ祈るばかりです。