●優填王(うてんおう)
(※画像は「仏教珍籍刊行会」発刊 『新纂仏像図鑑. 天之巻』より)
別名は、古くは「干闐」、新しくは「優陀延」・「優陀延那」。
サンスクリット名は「Udayana」。訳して「出愛」という。
釈迦如来に帰依した瞋彌國(コーサンビー国)の王。
伝説によれば、
釈迦の一夏九旬(雨季の折の90日間、僧侶が一ヶ所に
集まり集団生活を行う夏居行事のこと)の間、忉利天
(せつりてん)に上り、母のために説法して閻浮堤に
下りると、釈迦を思慕するあまり牛頭撰檜を以って高さ
五尺の如来像を造る。すると釈迦が天より下りて像に
迎えられ、世尊はその像に末世の教化を属託させたと
いい、これが造像の始めとされる。
==============================================
以上のような尊です。
仏尊自身の説明はほぼ無いですが、着目すべきは伝説の方で、
飽くまで伝説ですけれども、仏教に於ける尊像を礼拝する
きっかけを生んだ仏尊だということ――
とどのつまり、仏教に於いて偶像崇拝が許されるきっかけを
作った尊だということです。
実は、初期の仏教は偶像崇拝が禁止でした。
それを良しとし始めた理由は、釈迦の弟子・孫弟子たちが
仏教を世俗に広めるためには、釈迦をイメージしやすいよう
何かしら「形」として残す必要があったからのようです。
その点は、
本来は偶像崇拝を禁止している筈のカトリックが、マリア像や
キリスト像を造った理由と概ね同じのようです。
ただ、基本は一神教であるキリスト教と異なり、仏教の神仏は
どれだけいることやら・・・・自分のブログでも既に400以上の
仏尊をUPしており、その殆どに図像が存在していると思うと、
少々無節操になってるような気も・・・。
とはいえ、イメージしやすいのは確かですし、文章上は不明な
結印の形のヒントになってもいますので、偶像崇拝を私欲に
利用せんとする輩が出てきやすい問題こそあれ、自分的には、
まぁ「有り」かな――とは思ってますけどね。
ていうか、自分が生まれた時からそうだったわけですし。
しかしながら、
この尊に具体的な御利益は無さげな感じがします。
釈迦如来を尊崇するあまり図像を作ったのみで、人々に
教えを説いたとか、修行で悟りを極めたとかいうわけでは
ないですからねぇ・・・
印形も不明ですし。