●秦広王(しんこうおう)
(※画像は文化遺産オンラインより) 奈良国立博物館所蔵 「秦広王図」)
亡者の審判を司るとされる「十王」の中の一尊。
本地仏は不動明王で、亡者の初七日に於ける審判を司る。
一切の亡者はこの尊の処に於いて一息切断し、来世の
因を作る。
身に法衣法冠を着け、慈悲広大の本性の相を表す。
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今回より「十王」の尊になります。
お恥ずかしながら、自分は十王に関しましてほぼ知識無く、
今回ブログにしながら勉強させて頂きました次第・・・。
まぁ、全ての宗派が十王信仰を容れているわけではない
ようですので、自分が知らなかったのはそのせいもあるかも
知れませんが・・・
ともあれ、
同じように詳細まではご存じない方もいらっしゃるのではと
思いますので、十王が何かと申しますと――
元は中国を起源とする冥界信仰であり、仏教が中国へ
入ってきた際に仏教が取り込み習合した概念だそうで、
よほどの善人か悪人ではない限り、人が亡くなってから
初七日から四十九日までの七日ごと、および死より百日、
一周忌、三回忌までの計10回の審判にて、亡者を六道の
何れに行かせるか決定するための十名の尊――
ということだそうです。
(※画像は文化遺産オンラインより) 奈良国立博物館所蔵 「十仏十王図」)
※ 色はこちらで補正してます
日本に入ってきたのは平安末期という、仏教の伝来時期よりも
だいぶ遅いものの、これまで曖昧だった仏教に於ける”冥土”の
概念を具体的に決定づけたほか、追善供養の習慣を広めたなど
影響力はあったようです。
が、
元々仏教になかったものであり、且つまた、本地仏との習合は
鎌倉時代に日本が独自に為したものであるため、既に宗派が
分かれていた日本仏教では一部の宗派が受け入れなかった
ようです。
特に浄土真宗は、
「死者はみな極楽浄土へ行ける」と説いてますから必要ないと。
自分の家は正に浄土真宗ですし・・・。
ただ、「三途の川」や「賽の河原」なども十王信仰が入って
きたからこその概念ですので、十王こそ耳馴染み無いまでも、
そちらは何かと耳にする機会もありますし、世間への影響力は
大いにあると言えましょう。
ちなみに、
日本では更に七回忌、十三回忌、三十三回忌を追加して、
十三王とされ信仰されたようですが、その三尊は自分が
参照している本に記述が無いので当ブログではUPしません。
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さて、その十王の中の一尊である今回の尊ですが、
ネット上では、
亡者の初七日の際の裁きを司る尊で、「倶生神」という、人の
両肩に居て片方は生前の善行、もう片方は悪行を監視する
神からの報告を以って審理を行うとのこと。
特に「殺生の罪」を裁くのだとか。
その審理によって亡者に三途の川のどの辺りを渡らせるかが
決まるそうで、どうやら船に乗って渡らせるのではなく、徒歩で
渡らせる模様。
※六文銭を払えば誰でも渡し舟に乗れるとしたのは平安時代後期からだそうで・・・
善人は浅瀬 もしくは橋から、
悪人は深い場所から、
極悪人は背も立たないくらい深く、且つ鬼が足を引っ張るような場所、
若しくは激流で大蛇がうようよしている場所を渡らせる――
というようなことが書かれてありました。
背も立たない深みや激流じゃ、溺れて死んじゃうんじゃないか、
と思いきや、もう死人だから死にようがないという・・・
まぁ、地獄は基本極悪人の行くべき場所なんで、扱いなんて
そんなもんでしょうけど。
ご利益は、
十王に関しては、閻魔大王以外にはご利益云々は無いのでは
ないかと(閻魔大王は死後35日目を裁く)。
ただ、十王信仰は閻魔大王の信仰と同一視されていたとのこと
ですので、閻魔大王との結縁が十王との結縁に代わるかもですが。
特に、この秦広王の特徴である傍らの「倶生神」の存在は、
閻魔大王でいう「人頭杖」の特徴と似ていますので、或いは現代、
十王の特性が閻魔大王に集約されて伝わってる可能性もありますので、
閻魔信仰が十王信仰に通じるとしてよいかも知れません。