●伝教大師(でんきょうだいし) / 最澄(さいちょう)
(※画像はwikipediaより)
大乗仏教の中の宗派の一つで中国発祥の「天台宗」の
日本に於ける開祖。
帰化人系の豪農「三津首百枝」の子として生まれる。
15歳で僧籍に入り、延暦4年(785年)に19歳で東大寺の
僧となるも、3ヶ月でその地位を捨て比叡山中に籠り、
延暦7年(788年)同志と共に比叡山延暦寺を開く。
延暦23年(804年)に天台仏教を深めるべく中国は唐へ
渡り翌年に帰国すると、自らの庇護者であった桓武天皇が
重篤であり、最澄は唐で学んだ密教の法を施すが力及ばず、
遅れて帰国した空海の、密教に於ける弟子となる。
しかし、空海の元へ就学させていた後継者と目していた
「泰範」が戻ってくるのを拒否したこと、また空海へ密教の
経典である『理趣経』の解釈書である『理趣釈経』の借用を
申し入れた際に、「密教秘法は文章修行ではなく実践修行に
よって得られるが、貴僧はそれを修めていない」として
借用を拒否されたことから両者は断絶する。
以降、最澄は天台仏教の布教に勤しみ、また比叡山を宗教家
の養成機関として発展させ、弟子や孫弟子たちにより浄土宗・
浄土真宗・時宗・日蓮宗などの宗派が誕生していくこととなる。
弘仁13年(822年)に比叡山にて遷化。貞観8年(866年)、
清和天皇より「伝教大師」の諡号が贈られた。
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今回は伝教大師(最澄)です。
弘法大師と同様、真言ではないですがお経が存在します。
(弘法大師の項はコチラで:↓)
伝教大師は「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく
しつかいじょうぶつ)」を説かれた方でもあります。
これは、「全ての人間は平等に仏性があり、善行を積めば、
幾度か生まれ変わるうち必ず仏と成れる。のみならず、鳥獣や
草木など、果ては山川さえも仏に成れる」という意味で、さながら
神道のような考え方と言えますまいか。
また、既に僧侶として高い地位にありながら、弘法大師に
弟子入りするなど、並の人間には出来ないことです。
おそらく純粋に衆生を救う方法を追求してのことでしょう。
結果、二人は物別れにはなりますが、それも詮無いことです。
弘法大師に一から師事したとなれば、日本では天台仏教が
密教の下に位置付けられることになってしまいます。
のみならず、伝教大師は既に天台宗の宗門から毎年二人の
僧を出家させる許可を天皇より得ているほどの立場でした。
それを失う事にもなりかねない行為は、信じてついて来た
弟子に対しても、のみならず許可して下さった天皇家にも、
況してや大恩ある桓武天皇に対しても裏切り行為と言えます。
そんなこと、断じて出来なかったことでしょうから。
ともあれ、伝教大師が日本の仏教に多大な功績を残された
ことは間違いなく、故にこそ、帰依を表するお経が存在します。
「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」
(なむ しゅうそ こんぽん でんきょうだいし ふくじゅ こんごう)
になります。
具体的な御利益は言及されていませんが、伝教大師の思想を
慮れば、その得度により唱えた全ての人に何らかの霊験を
もたらして下さるのではないかと。
何より、たくさんの仏教宗派の大元たる祖ですので、御自身の
宗派の更に上に天台宗がある方には、殊更に霊験は現される
のではないでしょうか。
具体的な印もありませんが、信心の心を忘れずに合掌すれば
問題ないことでしょう。
今年一年の、良かったことも悪かったことも全て、このお経を
唱えることで総ざらえにして、新しい年を迎えるのは如何でしょうか。
ともあれ皆さま、良いお年を。