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2025年度オフェンスリーダーを務めました49代QB伊藤龍太郎です。このブログで何を書こうか迷いましたが、私がこの4年間で得たものについて書いていこうと思います。


3年半前、GRAMPUSが全国大会を目指せる場所だと聞き、アメフトの世界に飛び込みました。ですが、結局4年間一度も優勝することはなく、今年も例年通りの3位という悔しい結果で終わってしまいました。最高の同期に恵まれ、尊敬する先輩方からたくさんの指導を受け、頼りになる後輩たちもいたので、今年こそ絶対勝てると信じて戦ってきました。だからこそ、本当に悔しいですし、正直、もう少しこの気持ちを引きずりそうです。


中京大学に敗戦してから約3週間。この4年間で一体何を得られたのか、あらためて考えました。結果が全てだと思っているので、負けた事実に意味を持たせて綺麗事にまとめたくはありませんが、この組織で4年間過ごし、多くの経験をさせていただきました。その中でも、私がこの4年間で手に入れたものをズバリ言うと、「精神的なタフネス」です。


4年間GRAMPUS過ごした私にとって、最も重要だった転機が三つあります。

一つ目は2年春の大阪公立戦です。この試合は先輩QBの怪我もあり、初めて長く試合に出場しましたが、終盤にPick 6を喫し、自分のミスで敗戦を招いてしまいました。この試合で、QBとして試合を壊してしまうことの怖さを知りました。

二つ目の出来事は2年の夏合宿での怪我です。春試合の悔しさから立ち直り、一枚目のQBを目指していた矢先、前十字靭帯断裂という大きな怪我を負い、1年間アメフトができないことが確定しました。診断結果を受け入れることができず、かなり落ち込みました。手術の後は、「できることに集中しよう」と決め、1年間リハビリとスローイングの改善に徹底的に取り組みました。

三つ目の出来事は3年秋の南山戦です。翌年のオフェンスリーダーになることが決まっていた私に、先輩がくれた来年の「0試合目」だと思って臨んだ試合でしたが、三つものターンオーバーをしてしまいました。同期や後輩に助けられ試合には勝てたものの、先輩の引退試合を台無しにしてしまい、情けなく思いました。練習ではうまくできていたので、絶対に大丈夫だと過信していたんだと思います。試合後は、これまでで一番深く落ち込みました。来年のことが急に怖くなり、このままでは誰もついてきてくれないだろう、みんなを引っ張っていく自信は一つもなくなってしまいました。しかし、時間があまりないことは理解していたので、すぐには立ち直れませんでしたが、「やるしかない」と切り替えて、すべてをゼロから見直しました。

この三つの挫折こそが、私の「精神的なタフネス」を構成する土台となりました。

QBとして試合を壊す怖さを知ったことで、「自分のミスから目を背けない」タフネスを身につけました。1年間のリハビリは、結果が出なくても「地道な準備を継続する」タフネスを私の中に培ってくれました。そして南山戦での過信と挫折は、「謙虚に、そして周りの仲間を信じて頼る」タフネス、つまりチームを率いる責任を教えてくれました。


コーチの方々をはじめ、多くの方のサポートを受けながら、課題を一つずつ潰していった結果、最終的には自慢のオフェンスユニットを作ることができたと思っています。確かに、名城、中京には敗れてしまい、これもまた一つの大きな挫折となりました。

しかし、この敗北と挫折を繰り返す過程で掴んだ「失敗を次につなげる行動力」こそ、私が得たタフネスの本質です。


最終的に「優勝」という結果は出せず、敗北の事実は変わりません。ですが、この4年間で掴んだ「立ち直る力」は、単なる精神論ではないと思っています。この力こそが、私にとって最も強力な武器となりました。アメフトでは結果を出せなかったからこそ、ここから先の人生は何も想像つきませんが、この武器で何か大きなことを成し遂げたいです。


最後にこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたいです。この組織で最高の仲間とたくさんのことを経験できたことに心から感謝しています。大学でアメフトというスポーツに出会えたこと、そしてGRAMPUSで過ごした日々は、私の人生の財産です。そして何より、急にアメフトを始めると言った私を、怪我も多く、ろくにバイトもしていない中で、全力でサポートしてくれた両親には、本当に感謝しています。最高の学生生活を送ることができました。

4年間、本当にありがとうございました。



長く拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

これからも引き続きGRAMPUSをよろしくお願いいたします。