お世話になっております!名古屋大学アメフト部元副将の眞下龍介です。


何を書くか迷いましたが、僕の引退ブログは入部から引退までどんなことを思いながらアメフトをしていたのかを話したいと思います。

へぇ〜眞下さんこんなこと考えてたんだと参考程度に読んでくれれば幸いです。


私は大学に入る前からアメフト部に入ると決めていました。友達が多くアメフト部に所属していたこと、単純に「かっこいい」と思ったこと、そして全国大会に出られるチャンスがあったからです。小中高と野球を続け、甲子園を目指していましたが、「甲子園に行こう」「全国大会に出よう」と声をかけ合うのが少し恥ずかしいような環境でした。それでも、心のどこかで本気で勝利を目指す場所に憧れていたのだと思います。


1年生の頃は、4年生の先輩方の厳しい指導が印象に残っています。当時は「なぜこんなに怒られなければならないのか」と感じていましたが、4年生になり1年生を指導する立場になった時、その難しさと先輩たちの偉大さに気付きました。また、怪我で試合に出られず、サイドラインから同期が活躍する姿を見ているのは、学生時代で最も悔しい経験でした。しかし、この悔しさが4年間部活を続ける原動力にもなりました。


2年生になると試合経験も増え、アメフトの面白さにどっぷりとハマっていきました。練習で失敗し、悔しくて泣くこともありましたが、頼りになる先輩たちに支えられ、のびのびとプレーできました。今でも「あのチームでまたプレーしたい」と感じるほど、上手くて面白い先輩方でした。


3年生の秋、名城大学との試合は自分にとって特別なものでした。「自分が活躍すれば必ず勝てる」と信じていましたが、結果は敗北。この時、自分一人ではなく、チーム全体で強くならなければならないと痛感し、視野が大きく広がりました。自分のためだけでなく、チーム全体を考えるようになった大きな転機でした。


4年生を迎える直前、母から父の余命が半年だと告げられました。その時の感情はよく覚えていませんが、ただひたすら涙がこぼれたことだけは記憶に残っています。この出来事がきっかけで「何のためにアメフトをするのか」を深く考えるようになりました。私がたどり着いた答えは「証明すること」でした。家族や仲間、先輩たちと共にやってきたことが正解だったと証明したい。その思いを胸に、アメフトを続けました。


8月16日、父が息を引き取りました。ちょうど強化練習が終わった直後のことでした。シーズンの直前でチーム全体への影響を考え、一部のチームメイトにだけ事情を伝えました。涙を流しながら「優勝を報告しよう」と言ってくれたチームメイトの言葉には本当に励まされました。


シーズンが始まると、結果は3勝2敗で、目標の東海優勝には届きませんでした。副将として、そしてオフェンスの中心としてチームを勝たせることができなかったのは非常に悔しいです。それでも、本気で全国を目指して過ごした日々は最高に幸せでした。私たちの代では結果で証明することはできませんでしたが、きっと次の代の後輩達がその思いを引き継ぎ、結果で証明してくれると信じています。


最後に、普段と変わらず接してくれたみんな、本当にありがとうございました。部活に行くと自然と辛い気持ちを忘れ、たくさん笑うことができました。これからもよろしくお願いします。


長い文章で少し重い内容でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。