父が亡くなって1週間が経った。
まだ、悲しみに暮れるという実感があまりない。
ただ、1人で車を運転していると突然、父を思い出すことがある。
父は82年の人生を終えた。
確かに、日本人の男性平均寿命には達していない。
しかし、父のこれまでの病気のことを考えると、よく頑張ったと思う。
なぜなら、30代でⅡ型糖尿病を発症(病歴43年)、定年退職間際に心筋梗塞を発症、ペースメーカーを埋め込む。
その後、胃がんによる胃の全摘出手術を経験した。
これだけの病気をしているので、実際の年齢以上に身体は疲弊していたものと思われる。
昨年に入ってから、脱水症状、極度の食欲不振により入退院を繰り返す。
9月に入って、歩行もままならない状態となったため、救急搬送される。
ここから、本格的な入院生活となる。
口からの飲食をすると、すぐに誤嚥性肺炎を起こす。
肺気腫も併発したため、人工呼吸器を装着。
昨年9月から亡くなる今年の3月までの半年間、一切口からの飲食が禁止される。
栄養は点滴だけ。
肺まで酸素が行き渡らない時期もあり、苦しそうな表情を浮かべていたこともあった。
しかし、ある程度、症状が落ち着いたため、昨年11月に系列病院に転院となる。
この病院では、近しい親族が最大人数3人/回との面会のみ。
しかも、最大3回/週までで15分間/回という制限付き。
昨年11月から、私は木曜日、土曜日に妻と母親の3人で面会。
火曜日に妹と母が面会する。
幸にも、頭脳は最後まで明瞭だった。
人工呼吸器を付けているため、会話はできない。
しかし、ホワイトボードを使って筆談での会話をする。
病院での『医療費の支払いは大丈夫か?』と心配していることもあった。
『次女の大学受験の状況はどうか?』とも聞いた。
4月7日に東都大学リーグ戦が開幕することも理解していた。
『東京に行きたいな』とも言っていた。
長女がお爺ちゃんの母校、東洋大学のある『白山(はくさん)に行った』と伝えると、目を輝かせていた。
今となっては、走馬灯のことのようによみがえる。
臨終に際し、医師から『苦痛はなかっただろう』と聞き、ホッとする。
6か月間の闘病生活において、筆談ではあったが色々と話すことができた。
葬儀のお別れの際に『今までありがとうございました。本当にお疲れさまでした、ゆっくりやすんでください』と声をかけた。(合掌)