またまた、松本清張氏の本を読む。
松本清張著『偏狂者の系譜』角川文庫。
今回の本は4つの短編から構成されている。
1編は、いわゆる新興宗教物。
その他3編は学術物と言われている作品。
学術物のうちの1つは当時、一般市民にも邪馬台国ブームに一役買った。
学術物の残り2編は晩年の学者、研究者の悲哀を描いた作品。
印象に残ったのは、邪馬台国論争の引き金となった作品と新興宗教物の作品の2編。
まずは、邪馬台国を扱った『陸行水行』。
記憶を遡れば、確か私自身が中学生の頃(今から35年前)も、邪馬台国ブームがあったと記憶している。
大まかには、九州派(日向?)と近畿派(大和?)に分かれていたと思う。
近畿地方派が優勢だったような気がする。
この作品は、明確に『九州地方派』を表明している。
作品中の人物を使って、綿密かつ緻密な仮説を立てているため、私もいちいち納得しながら読み進めてしまう。
さすが、膨大な資料を基にした作品だと頭が下がる。
もう1編の新興宗教物は『粗い網版』という作品。
法曹界では『一事不再理の原則』という法律のルールがある。
簡単に解説すると、一度判決が確定したことについては、再び起訴はしないというルール。
ある新興宗教を調べている特別高等警察(特高)の課長は、どうしてもこのルールに突き当たり、捜査が行き詰まってしまう。
中央官庁の上司からは暗に結果を至急出せと迫られており、板挟みとなる。
そのため、極度のストレスに落ち入り、潰されそうになる。
そうした精神状態から、この課長は捏造に手をつけてしまう。
実際にあった大本教弾圧をベースにしているため、背筋が凍る思い。
なぜなら、表現の自由や身分等が保障されていると言われる今現在においても、公権力によって苦しめられている人が後を絶たないから。
この作品を読んで『昔はそんなこともあったんだ、今と違うよね。』とならないことに恐ろしさを感じてしまう。
松本清張氏の作品が今も色あせないのは、テクノロジーが猛烈に発展した今現在も、心情や気持ちの部分は昔と何ら変わらないということだろう。
だから、今後も松本作品を読み進めていこうと思う。