先日、私の自宅がある街で親子が車に惹かれて死亡するというニュースがあった。
犯人は逃走したため、地元ニュースでは『親子死亡ひき逃げ事件』として大きく取り上げられる。
私が副業で働く福祉施設の職員の中に、事件現場近くに住んでいたり、この道路を使って通勤していたりする人もいる。
そのため、休憩中の会話において事件について挙がる。
職員A:「被害にあった人は、地区のゴミ出しの準備をするためにネットを設置し、周辺の掃除をしていたそうよ。母親(50代)とそれを手伝っていた息子さん(30代)だったそうよ。可哀そうにね。」
職員B:「僕は翌日その道路を走っていると、警察官が1台1台をカメラで撮影していました。間違いなく私の車も撮影されたと思います。」
職員C:「数キロ先で被害者が履いていた靴が発見されたそうよ。」
この事件の概要は以下の通り。
<事件の概要>
・時間は早朝の5時30分過ぎ。
・被害者は地域のゴミ出しの当番。
・被害者は、母親(50代)と息子(30代)。
・自治会が指定したゴミ置き場は、車道に面した歩道に接している。
・ゴミ出しのためのネットとその周辺を清掃していた時に車にひかれたようだ。
・道路は2車線の直線、きわめて狭い路側帯、歩道は約90cmで人がすれ違うのが難しいくらい狭い。
結論から言うと、数日後に犯人が逮捕された。
逮捕された容疑者は80才後半の男性で事件近くに住んでいる。
聞き取り捜査から、所有する配送用のトラックの前方部分が破損していたことが決め手となる。
まずは、被害にあわれた親子に対してご冥福をお祈り申し上げる。
さて、この事件をただ単に井戸端会議の雑談で終わりにするのではなく、不動産目線で冷静に分析していきたい。
まず、この事件の問題を整理すると以下の3点。
<問題点>
① ゴミ置き場が歩道に接している。
② 歩道が非常に狭い。
③ 容疑者のドライバーが高齢者(80代後半)。
このうち、①、②を合わせて考える。
まず、ゴミ出しの場所の選定や当番について、地元自治体は深く関与しないのが原則。
その理由は、ずばり財政的なこと。
ゴミを出す土地を自治体が買い上げるだけの財政はない。
そして、ゴミ出しをサポートするための人材確保(人件費)はできない。
そのため、ゴミ出し全般について、『市民の善意』に大きく支えられている。
ゴミ出しの場所の確保、ゴミ出し当番について、自治体の責任を追及しても、上手くはぐらかされるのは明白。
もし、私が自治体側の責任ある立場だったら、このようなことを言うだろう。
私:「そんなに安全なゴミ置き場を確保したいなら、あなたの土地を提供してください。」
相手:「それとこれとは話が違います」
ゴミ置き場についてまとめると以下の2つ。
・ゴミ出しの場所、当番はその自治会で決めたことであり、地元自治体に責任はない。
・自分の土地(私有地)をゴミ置き場としては提供したくない。
つづいて、③の容疑者のドライバーが超高齢であったこと。
これは、前々から言っていることだが、高齢者が車を運転しなければいけない場所に住んでいることが問題。
コンパクトシティを推奨している私にとって、『またか』と思ってしまう事案。
判断能力が著しく低下している高齢者が車を運転していることは危険極まりない。
事件後に出頭しなかったとはいえ、逮捕された高齢者が極悪人だとは到底思えない。
どうしても運転せざるをえないひっ迫した事情があったのかもしれない。
そうでないとしても、逮捕された容疑者の自宅は近くの最寄り駅からは、かなり遠い場所。
生活するうえで車が必需品といえる。
やはり、近くにコンビニ、スーパー、病院、公共機関、交通網がしっかりしているエリア(コンパクトシティ)に住むのがよい。
過疎化される場所は加速度的に過疎化が進み、より住みずらくなる。
高齢者の中には、自分が生まれ育った場所を離れたくないという人がいることはよくわかる。
しかし、高齢者こそ、コンパクトシティ内に住むことをおススメしたいというのが私の持論。
今回の事件から、とやかく言う人間は『総論賛成、各論反対』だと思う。(乱暴な言い方でスミマセン)
この『親子ひき逃げ死亡事件』を単に犯人が悪いと断定するのは簡単なこと。
もっと、深く考えれば考えるほど、闇が深いように思える。
皆さんはどうお考えだろうか