副業の福祉施設の公休日が2日連続。(ラッキー
)
妻は幼馴染の友人達と栃木日光へ1泊2日の日程で旅行。
そこで、負けるわけにはいと意味もなく張り合い、県内西伊豆の土肥へ1人旅を計画。
久々に自家用車で出かける。
午前中、アパート売却等のことなどを行ない、その足で土肥に向かう。
昼飯は夜に備え、コンビニのおにぎり2個だけ。
天城を越え、土肥に向かう1本道で、ビックリする光景を目の当たりにする。
1台のSUVカーが橋のガードレールに激突し、ボンネットから煙が出ている。
2台の車が止まっている。
私も道路脇に車を止め、被害者の救助に向かう。
被害者は、60代後半と思われる夫婦。
既に運転手の男性は、車外に救助されているが、胸を押さえて苦しそう。
助手席の女性はまだ車内。
救助している男性3人のうち、明らかにリーダーと思われる30代の人が仕切っている。
その男性が私に向かって、
男性:「医療従事者ですか?」
私:「いいえ、福祉関係に従事しています。」
男性:「私は医療従事者です。」
私:「私にできることがあったら、言ってください。」
男性:「では、車のエンジンを止めてください。」
私:「分かりました。」
道路に大量のオイルが漏れている。
万が一、引火でもしたら大惨事。
運転席、助手席共にエアバックが開き、前方はグチャグチャ。
言われた通りにエンジンを止めようとエンジンボタンを押しても全く効かない。
再び、男性の元に戻る。
男性:「男性は苦しがってはいるが、脈もしっかりしています。肋骨が折れている程度でしょう。それよりも、女性の方が心配です。」
約10分後、救急車が到着。
私は救急車を誘導するために、2車線の中央で交通整理をする。
同時にパトカー1台も到着。
交通整理をお巡りさんとバトンタッチ。
再び、被害者の元へ駆け寄る。
救急隊員と医療従事者の男性が話をする。
男性:「私は医師です。ちょうど通り過ぎたところで遭遇しました。単独事故です。男性はろっ骨が折れた程度だと思います。それよりも、女性が気になります。まず、バイタルを計った方がよいでしょう。」
隊員:「分かりました。(女性を)助手席から出すのに周りの男性の方々、手伝ってください。」
私やその医師を含め、4人で女性を車外へと救出する。
動かすたびに女性が痛がる。
その様子を見て医師は、
男性:「意識ははっきりしているの安心しました。右足脛の骨折と共に、大腿骨骨折が疑われます。それが気になります
。」
救急隊員が2人を救急車に乗せるのを確認すると、医師が我々に向かって、
男性:「これで我々も解散しましょう。あとの処理は警察に任せましょう。」
その言葉に一同納得し、それぞれの車に乗り込み、解散する。
ホテルに着き、私の右足の靴に血の跡がべっとりと付着している。
恐らく、被害男性に関わっている時に付いたものと思われる。
それにしても、30代男性医師の冷静沈着な対応に恐れ入る。
このような頼もしい若者が日本にもいるということは、まだまた、日本も捨てたものでない。
事故処理を終えて、ドキドキする気持ちを持ちながらも、チェックインまでの時間がまだある。
そこで、土肥金山へ向かう。
25億円相当の金塊が展示してあることでも有名。
入館料900円を払い、坑道を探検。
土肥金山の門番も金色のマスクを着用。(人形)
さすがに、薄暗い坑内は不気味。
ただし、背の低い私にとって、『頭上注意』のお知らせは、あまり意味のない。
この時だけは、背が低いことに感謝。
最後に、25億円の金塊に遭遇。
写真撮影、触れてもOKと書かれているが、なぜが止めておく。
とっさに、『運気が盗られてしまう』と頭によぎる。
へそ曲がりの性格がここでも本領発揮。
ただ、江戸時代の記録が残っており、大変印象に残った。
それは、鉱山で働く人たちは生と死が隣り合わせ。
奥さん、子どもがいる人は、事故で亡くなってしまったら路頭に迷ってしまう。
そこで、兄分、弟分の関係を築いておく。
万が一の時は、兄分が弟分の家族の面倒をみるという仕組み。
今でいう互助会のようなもの。
このことが江戸時代に行われていたとは、感慨深い。
まだ、チェックインには時間がある。
そこで、土肥神社に参拝する。
すると、境内にディアナ号の錨(いかり)を発見。
確か、ディアナ号は、プッチャーチン提督率いるロシアが日本に開国を求めて下田に到着。
その後、地震・津波でディアナ号は駿河湾で沈没。
その錨(いかり)が土肥の漁師によって引き上げられたとのこと。
もの凄い大きさにビックリ。
当時、ロシアの最新鋭軍艦だったことに納得。
そうこうしているうちに、チェックインの時間となる。
まずは、大浴場に入り、交通事故処理の汗を流す。
その後は、お決まりの一杯。
プレモルもあったが、なぜか、『角ハイボール』の気分。
窓の外は、一面が海。
向こうには、静岡、清水の街並みが見える。
西伊豆は太陽が沈む夕日がきれいで有名。
この日も素晴らしいサンセットを見ることができた。
待ってました。
夕食タイム。
まずは、生ビール2杯用意する。
もつ煮があったので、1皿目のメインとする。(盛り付けが汚くてスミマセン)
2皿目は、おでんがメイン。
ここで、いつもならハイボール。
しかし、多くのお客さんが日本酒(冷酒)を注いでいる。
そこで、私も日本酒にする。
静岡のお酒、『花の舞』。

実は、もう1杯日本酒を飲んだ。
その名は、伊豆の地酒、『あらばしり』。
こちらは、辛口でもあり、私の口には合わなかった



最後の〆は、デザートではない。
花の舞1杯に、おでんときのこ汁。
結局、日本酒は2合とちょっとで十分。
お酒は好きだが、弱い自分を思い知らされた

さて、翌日を迎える。
恒例のジョギング。
丸山公園付近から見えた富士山が素晴らしい

横に流れる雲が浮世絵のような感じ。

実は、恋人岬まで行く予定だった。
しかし、40分以上経過したが、恋人岬まであと2Kmの表示。
もうこれ以上先に進むのを断念する

標識に『本因坊秀和ゆかりの地 最福寺』と書かれている。
江戸時代の棋士、本因坊秀和が生まれたことが分かる。
この地点で折り返すことに決める。

ホテルに戻り、お風呂に入ってから朝食。
その後、ホテル内でゴロゴロし、11時のチェックアウトのぎりぎりまでいる。
行きに、交通事故に遭遇したため、いつも以上に気を付けながら帰途に就く。
いつも思うのだが、楽しいことはアッと言う間に終わってしまう。