地元の図書館で借りた本を読む。
それは、後藤正治氏の著書。
後藤氏の本は以前にも読んだことがあったので目に留まる。
野球に関しても造詣が深い後藤氏。
私から見てもかなりのマニアックな視点で書かれているため、非常に興味深い。
読んだ本は、後藤正治著『不屈者』新潮社。
この著書に登場する人物は全部で5人。
森安敏明 (元プロ野球選手)
村田 瓦 (ラガーマン)
谷川浩司 (将棋棋士)
井村雅代 (シンクロ・コーチ)
山野井泰史(登山家)
今回は、最初に登場する人物、森安敏明氏を取り上げる。
私も野球ファンの1人だが、はっきり言って、彼の名を知らなかった。
この本を読んで初めて、「日本プロ野球黒い霧事件」に関与したということで、『永久追放』処分を受けた1人であることを知る。
ちなみに、野球協約改定を受け、処分を受けた池永正明氏は35年ぶりに処分が解除された。
ただし、この本の主人公の森安氏は50才の若さで死去。
処分解除の措置は本人からの申請が要件とされているため、彼の願いは叶わない。
この本で、印象に残ったのは、2つ。
1つ目は「プロ野球史上、最速の投手は?」という質問に対して、『森安敏明』が挙がるということ。
もう1つは、指導者(コーチ)としても抜群の才能があったのにも関わらず、日の目を見ずに終わったことが非常に残念ということ。
1つ目から見ていく。
ざっと、森安氏の経歴を示す。
彼は岡山の出身。
高校時代、平松政次(大洋ホエールズ)、松岡弘(ヤクルトスワローズ)と共に、「岡山の三羽烏」と注目を集めていた。
その後、東映フライヤーズ(現日本ハムファイターズ)にドラフト1位指名され、5年後に球界を永久追放された。通算成績58勝69敗。
1966年 11勝11敗
1967年 15勝17敗
1968年 16勝23敗
1969年 11勝15敗
1970年 5勝3敗
以上が彼の大まかな略歴。
上記の数字を見ても分かるように、負け数が勝ち星を上回っている。
それにしても、投球回数は今と比べようもないほど、投げ続けていたことがよく分かる。
さてここからが本題。
今でこそ、最速投手と言えば、佐々木朗希(千葉ロッテマリーンズ)、大谷翔平(エンゼルス)の名が挙がる。
昔はスピードガンがない時代。客観的数字としては計測不能。
それでも、多くの元プロ野球選手から挙げられる選手は、以下の通り。
尾崎行雄、池永正明、江川卓、江夏豊。
そして、番外編として、『森安敏明』が挙がる。
恐らく、スピードガン的には最速ではないだろう。
しかし、サイドハンドから右打者のインコースに投げ込まれるストレートはえげつなかったと証言している。
ボールのキレと伸びがもの凄く良かったのだろう。
2つ目は、指導者としての資質である。
岡山出身の元プロ野球選手、サブロー(千葉ロッテマリーンズ)は、千葉ロッテファンの私としては、忘れられない名選手。
決して派手さはない。
しかし、シーズンの中盤から、いつの間にか外国人選手に代わって、4番打者をつとめていたことが記憶に新しい。
落ち着いた打席での仕草は、はたまらなくカッコよかった。
そのサブローこと、大村三郎が少年野球少年から中学生にかけて指導を受けていたのが森安氏。
当時、投手をしていた三郎少年に対して、厳しい練習を課して鍛え上げた。
練習は厳しいが、森安氏の家で夕ご飯を御馳走になった時の森安氏の優しさがあったという。
三郎少年はその後、名門PL学園、プロ野球選手と歩む。
今までの野球人生を振り返って、『森安氏との個人練習が一番きつかったと思う。「僕の野球の師匠です」』と言わしめる。
また、印象に残る言葉は、「練習試合でもやるからには絶対に負けるな。」
以上、2つのエピソードを見てきた。
補足しておくが、指導していたのはサブローだけではない。多くの野球少年に対して情熱を注いでいたとのこと。
純粋に野球が好きで、野球を愛していたとサブロー氏は証言する。
残念ながら、森安氏は故人となってしまった。
しかし、ぜひ、野球協約を改定し、故人にも名誉回復の機会を与えてほしいものだと切に願うばかりだ。
それにしても、この本を通して、1人のプロ野球選手の生き様を知ることができて本当に良かった。