最近飲むヨーグルトが好きで、毎日1本は飲むことにしている。風呂上がりだとか、バイトに行く前とかに。けれど、ヨーグルトは滅多に食べない。別に嫌いというわけでは無いのだけれど、何故か縁遠い。
ところで、普通のヨーグルトも、飲もうと思ったら飲める。形状を保つことが出来るので、ぎりぎり固体と言えるのかもしれないけれど、噛んだりはできない。口に入れたら飲み込むしかない。従って、液体状になったヨーグルトを、よくも「飲むヨーグルト」なんて命名したものだ、と感心を覚えざるを許さない。「液状化ヨーグルト」くらいが、普通に思いつくくらいかな。
つい最近、「飲むフルーチェ」というものを飲んだ。缶入りのヤツだった。よく振ってから飲めと書いてあったので、よく振ってから開けて飲んだ。ここでもやはり、普通のフルーチェも飲めると思っていたので、どれほど液状化しているのか、と期待したけれど、ややどろんとした程度で、普通のフルーチェのほうが美味いと思った。飲むヨーグルトほど、私の生活には食い込む余地はないだろう。
「歩く辞書」という言葉がある。これは一般に博学な人を指す言葉で使われる。辞書は普通は歩かないから、「辞書のような人」を「歩く辞書」と洒落て表現した言葉だ。恐らく日本の洒落ではなく、英語の表現から来ている言葉のようだ。
大学に、学生なのに専門知識が豊富で、友人達の間で「歩く教授」と渾名で呼ばれるヤツがいるけれど、普通の教授は歩くから、これは変だと思う。同じ違和感が飲むヨーグルトや飲むフルーチェにもあるが、「飲む」か「食べる」かは人によって意見が分かれるから、とりあえずOKとするか。教授も歩くかどうか、人によって意見が分かれる場合はOKだ。
そういえば、「食べるラー油」ってものがあったと気付く。食べられないラー油がそれまでに存在したのだろうか、とやはり違和感を覚えた。そういうことに拘っていては、世間は渡れないのかもしれない。小難しいことは置いておいて、なんでも受け入れる精神があれば、「渡れる世の中」になるのだろう。
ああ、あと「とろけるチーズ」もあったと思う。でも、チーズは大体熱を加えておけばとろける。そんなことを言い出したら、「燃えないゴミ」というのもおかしい。ほとんどのものは燃える。「使える英単語」というのも変だぞ。
人間の場合には、「できる人」という誉め言葉がある。しかし、大抵の人は、何かはできるし、時間をかければできる。結果がお粗末であっても、一応はできる。「できるけどしない人」かもしれないし。