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 教習所に通っている。高校を卒業してからもう数年、最早、講習前後の煙草なしでは、まともにつまらない話を聞いていることなんて、出来い体になってしまった。教習所内の、限られた喫煙スペースで煙草を吸うのだけれど、年配のおっさんのや、教習官の方々と適当な世間話を交し合い、煙を散らす。


 何気なく振り返ってみると、私が煙草を吸うようになってから、もうしばらく経つ。思えば、吸う随分前くらいから、急に社会の煙草に対する風当たりが厳しくなった。公共施設はもちろん、店も屋外でも禁煙になり、喫煙者は肩身の狭い思いをすることになった。確かに、煙草の美味しさを味わうことの出来ない禁煙者が、嫉妬にとち狂って、そんなことになっているということは、私もわかっている。同情に堪えない。かわいそうだね。あと、複合的に無関係の人の健康を脅かす側面も鑑みられるところもあるのだけれど、そこまで目の敵にしなくても良いだろう、世の中にはもっともっと害のあるものが多いのではないか、と思えてしまう。


 例えば、酒は煙草よりも危険だろう。酔っ払いのために事故が起こり、無関係の人の命が奪われてしまう例は、煙草の比ではない。健康的には、飲んだ本人にしか害がないし、また販売しているのが多数の民間会社であることも規制ができない理由の一つだろう。煙草のように極端に制限されてはいないが、それでも、昔と比べれば、酔っ払いに対する風当たりは大いに厳しくなっている。特に飲酒運転に対するペナルティは極限にまで達した感が強い。恐らく、そうまでしないとやめられないということだろう。


 以前から考えていることなのだけれど、飲酒運転をした者からは、運転免許を取り上げるのではなく、そもそも飲酒免許を発行し、飲酒免許を取り上げれば良いと思う。飲酒免許が無ければ、飲酒が出来ない、というルールだ。どうしてかというと、酔っ払ったら運転してはいけないことは誰でも理解しているが、酔っ払うとその理解が消えてしまうからだ。従って、素面の人間にいくら説得をしたり教育をしても無意味であって、ようは飲ませないことが効果的だろうという主張である。現に、覚醒剤なんてこの理屈だろう。錯乱した状態の人間にはルールが及ばない。だから、錯乱すること自体を禁止するのだ。


 だけれど、飲兵衛のクズ共は、覚醒剤と酒は違うだろう、覚醒剤は明らかに健康に悪い、という主張で対抗してくるだろう。よく考えてみろこの野郎。それは、酒も同じである。酔っ払うほどの量の酒ならば、健康に良いはずがない。肝臓を労われ死ぬぞ。

 

 日本の社会は、そもそも酔っ払いに対して比較的慣用だった。酔っ払ってふらふらの人を微笑ましく見ていた歴史がある。これは日本以外ではありえないことらしく、呂律が回らないだけで眉を顰められる。そこまで酔う人間は、当たり前のことであるがたちまち軽蔑の的となる。酩酊し千鳥足の人間が公道を歩いたり、電車に乗ったりするなんてことは、許されないのだ。日本もそれに近づきつつある。今後、煙草同様にさらに厳しくなるだろう。


 対して近況じゃねえ。