軽音のライブもまあそれなりに一段落して、国法研の方の活動が本格的になってきた

国法研、つまり国際法学研究会のこと
問題の中で設定された状況のもとで原告、被告に分かれて一国の代理人を務め、国際裁判を行うという『模擬裁判』がメインの活動となってる もちろん国際関係の勉強会なんかも行ってるよ

京大はかなり強くて、香港でのアジア大会はしょっちゅう優勝してたり、ワシントンでの世界大会にもちょくちょく出場してるらしい 日本語裁判が基本やけど国際裁判やから大会なんかは英語での弁論

入った感想は評判通り、なかなかのキツさ 近くある合宿で大会に向けた部内の予選があって、今はそれに向けた準備をやってる 個人弁論まで順位つけられるから結構必死やな


一回生には専門がない法学部の俺としては国法研は法律に触れる唯一の機会といえるだけに、かなり勉強になる


そこで最近痛切に感じているのが法律の運用、もっといえば法治国家の運営が想像以上に難しく、それはもはや奇跡的なまでだ、ということ

また常に法を法たらしめてるものは安定を希求する多数派の誠実さ、善意であるということ

そして法を運用するということはすごく創造的な行為で、常に当事者なりの正義への意志が重要であるということ


かじった程度の俺がいうのもなんやけど法(特に国際法)には人類の努力の跡があるとおもう
普遍的に機能しうる法を生み出そうとしてる
でももちろんそんな法はありえない
常に法に携わる人間がそれを誠実に、人類を益する形でそれを運用しなくちゃいけない
弁護士になると決めたわけではないけれど、法を扱う人間になるならば自分なりの社会正義への考えを持たなあかんな


なすべきこと、あるべき形に意識的でありたいです
水曜日にライブってなわけで今日はバンド練習でした ちなみに明日も
練習は概ね問題なし

ドラムの家に泊まる予定やったのに、カラオケの最中に国法研の先輩からメール・・・弁論の修正原稿を明日までにデータで送るようにとのこと

オワタ
仕方なく帰宅して今作成中
噂どおり国法研はなかなかキツいね



ところで練習に行く直前、関西大学の四回生の方から就活セミナーの案内のメッセージがとどいた
就活そのものにあまり意識はなく(将来への意識はあるけど)、それよりは今は教養を身につけたいんでその旨を送ると、彼女曰わく『就職難で早くから真剣に準備する人が多い中、土台となる知識を得たいという人がいるとは』とのこと

よくわかんないな

教養が実学的でないということか?
そもそも実際的でない学問なんてあり得るのか?

ちょっと前に『教養主義の衰退』って本が話題になってたけど、やっぱり今は教養軽視の風潮ってあると思う

丸山真男なんかはずっと前から日本における学問の蛸壺化(分野間を埋める共通の前提が存在しない)を指摘してたけど、もはや蛸壺化ですらない 蛸壺が次から次へと閉じていって学問がもはや懐を潤す手段になってる

もっといえば学問と知性自体への軽視すら感じる


でも今ほど物事を多面的に眺めることが求められてる時代もないんちゃう? いったい誰が環境問題、食糧問題、医療問題を一つの学問から語りうる?

本当に社会に必要とされてるのは小手先の面接技術を持った人間ではなく深い洞察力を持った人間であって、その洞察を可能とするのは深い教養なんじゃないすかね?