はじめまして。法学部1年の桑畑捷斗(クワハタハヤト)です。
この春、僕は物心ついた時から住んでいた三重から遠く離れ、日本海に面した新潟の地へとやってきました。
初めての部員ブログ。何を書こうか迷いましたが、未熟ながらも僕がこれまでどんな人生を歩み、なぜこの新潟大学を目指したのか。そして、なぜ13年間すべてを捧げたサッカーから離れ、未知の水上へ飛び込む決意をしたのか。
僕の人生における最大の決断と、その理由を、普段の様子からは有り得ないほどバカ真面目に綴ろうと思います。こんなにも自分の話を長々とすることはないので、この機会に、僕のありのままの言葉を選びました。約3700文字の文章になりましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。
僕の人生の隣には、幼稚園の年中の時から常にサッカーがありました。小学生の頃は、少年団、スクール、クラブチームと3つを掛け持ちし、友達と遊ぶ時間よりもボールを蹴っている時間の方が遥かに長かった。頭の中はいつもサッカーで埋め尽くされていました。
小学4年生で県3位、5年生で地域リーグ優勝、県大会2位。チームとしても個人としても結果がついてくるのがただ楽しくて、無我夢中でした。
しかし、小学6年生の最後の大会。僕が蹴ったPKが外れ、チームは負けました。あの瞬間の静寂、目の前が真っ暗になるような絶望感、こみ上げてきた涙は、今でも忘れることができません。
「自分のせいで終わった」そんな体験が、僕のその後のプレースタイルと、物事に向き合う姿勢を決定づけたのだと思っています。
中学に入り、僕は一人の恩師に出会いました。今でも心から尊敬しているその人は、僕の人間性そのものを根底から変えてくれました。
周りの上手なチームメイトに「追いつけ、追い越せ」と必死で食らいつく毎日。この時期に恩師の教えで書き始めたのが「サッカーノート」です。毎日の練習の反省、伝えられたこと、感じたこと、なぜ上手くいかなかったのかということを言語化して突き詰める。この習慣が、今の僕の「思考の土台」になりました。
しかし、現実は残酷です。初めての県大会で1つ上の先輩たちは準優勝したのに、僕たちの代ではトーナメント敗退。思うように結果が出ず、自分の実力不足に焦る中、追い打ちをかけるように僕は怪我をしてしまいました。
3年生の9月。1ヶ月に10試合近くある公式戦のすべてを、僕はピッチの外から見つめることになりました。
その時、僕は初めて「裏方」に徹しました。ボトルに水を汲み、試合を見返すためのカメラマンに徹し、アップの準備をしたりと、チームのためにできることを必死に探しました。ピッチには立てなくても、チームメイトから「ありがとう」と声をかけられることが心から嬉しかった。最後の大会、僕自身のピッチでの貢献はできませんでしたが、チームは県準優勝を果たしました。
自分が主役になれなくても、誰かのために動き、感謝されることの喜び。これが、今現在の僕が抱く「社会の声を届けるメガホンになりたい」という思いの、一番最初の種だったのだと思います。
中学の同級生と遊ぶよりも長かった、クラブの先輩や後輩、チームメイトと過ごした濃密な時間は、僕の生涯の宝物です。
高校のサッカー部は、決して強豪ではありませんでした。2年生になる直前、1つ上の先輩が全員辞めてしまい、残されたのはたった4人。単独で試合すらできず、合同チームを組まざるを得ない悔しさを味わいました。
しかし、新1年生が入ってくれたおかげで再び単独チームになり、僕は最後の大会に向けて、先生と毎日のように練習メニューやフォーメーションを話し合いました。
負けることは多かったけれど、自分たちの頭で考え、ゼロからチームを創り上げるプロセスは、何物にも代えがたい経験でした。最後の大会、格上の相手に接戦に持ち込めた時の「やり切った」という思いは、少しの悔しさと共に、確かな自信になりました。
この「周囲と対話しながら、一つのものを創り上げる」という経験は、生徒会長としての活動に直結しました。「前例がないから」と諦めるのではなく、全校生徒の小さな声を拾い上げ、先生方と粘り強く議論を重ねて、新しいものを創り出す。
怪我をして裏方に回った中学時代、ゼロからチームを作った高校時代、探究学習に没頭し、 そして生徒会長として奔走した日々。毎日のノートに書き連ねた思考の断片が繋がり、やがて僕の中に明確な「夢」が生まれました。
「将来、地方地域の声を広聴し、僕がメガホンとして届け、誰もが暮らしやすい現代社会を創る政治家になる」
この夢を叶えるためには、法学の専門性と経済学の視点を持ち、どちらも深く探究できる新潟というフィールドで学ぶしかない。
温かい先生方や仲間の応援に支えられ、この新潟の地に辿り着きました。
大学に入っても、当然サッカー部に入るつもりでした。入試を終えてすぐにサッカーの練習を再開していましたし、何より、13年間多大なサポートをしてくれた両親や恩師への恩義がありました。
これまで僕を形作ってきた人物像に照らし合わせれば、サッカーを続けるのが自然なことです。高校からつけていた日記の上で何度自問自答しても、答えは同じ。そのままサッカー部へ入部届を出す自分も、容易に想像できました。
しかし、4月18日。
当時、日記に書き殴った感情がそのまま残っていたので、あえてあの瞬間の想いをほとんど変えずにここに綴りました。
同級生に誘われて参加したボート部の試乗会で、僕の13年間の当たり前の考えは、跡形もなく吹き飛ばされました。初めて乗る8人乗りのボート。先輩であるCOXの指示のもと、先輩たちがオールを引いたその瞬間。
船が、水の上を滑るように走り出しました。
顔に当たる風。水を切る音。今まで陸上でしか生きてこなかった僕にとって、それは全く未知の、けれど昔やっていた水泳の記憶とどこか繋がるような、圧倒的な感覚でした。
「水と風と友達になる」
頭で考える知的なものではなく、ただただ「美しい」と直感したのです。あの日、船上で受けた風の冷たさと、水上を疾走する感覚は、僕の脳裏に焼き付いて離れない「忘れられない景色」となりました。
「ここなら自分の居場所がある」
「この先輩たちの背中を追いたい」
そう直感してしまった以上、もう自分の心に嘘はつけませんでした。恩師への申し訳なさも、未知の世界への不安も、すべてを飲み込んで余りあるほどの「熱」を受け取ってしまったのです。
少しだけ話の角度を変えます。
ボート部入部を決めたときから、僕の好きな言葉に「Step and Go」というものがあります。元々は僕が小学生の頃から大好きな嵐の楽曲「Step and Go」から取ってきているのですが、今の自分の状況は、まさにこの言葉で解釈できるんじゃないかと思い、その時からこの言葉は常に僕の考えの土台を作っています。
今現在の状況をこの言葉に当てはめるなら、ただやみくもに進むのではなく、これまでの経験を強固な踏み台(Step)にして、新たな場所へ高く跳び出す(Go)。
PKを外して泣き崩れた小学生のあの日も、ノートを書きながら自分と向き合い、裏方としてチームを支えた中学時代も、チーム作りに奔走し、たくさんのことに挑戦した高校時代も。そして、政治家という夢に向かって足掻き、応援してくれた人たちの存在も。
そのすべてが、僕にとっての「Step」です。13年間のサッカー経験を捨てるのではありません。その熱量、挫折、思考、対話のすべてをオールに乗せて、この新潟の地で、ボートという新しい世界へ「Go」するのです。ここから、新たな舵を切ることになります。
僕の解釈として、ボートの「エイト」という競技は、全員が息を合わせ、ひとつの生き物のように水上を進む競技だと思います。見えない水の流れを感じ取り、全員の力を一つにして前へ進む。その姿は、個人的には、僕が目指す「社会の声を救い上げ、より良い方向へ進めていく」ということと、どこか似ているのではないかと思っています。
朝5時からの練習、将来の夢との両立。決して楽な環境ではありません。これから先、自分の決断が正しかったのかと不安になる夜もあるかもしれません。
それでも、あの水上で感じた風の記憶と、頼もしすぎる先輩方、そしてこれからもっと深い関係になるであろう同期の背中がある限り、僕は何度でも限界を超えていけると自負しています。
失うものがないからこそ、限界までチャレンジします。
4年後、「あの時キツかったけど、共にずっと笑って必死になった最高の仲間と出会えた」と胸を張って言えるように。
素直に、謙虚に、がむしゃらに。
インカレ入賞という高みを目指して、僕は練習を重ねていきます。
未知の風を自分自身に吹かせるために、自分との闘いになる新たな道へ、ここから歩んでいこうと思います。
ここまで読んでくださった部員の皆さん。これから風速上げて、一緒に夢を叶えましょう。
長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!