高校生1年のとき、すでに母校のボート部に入部して必死に自転車を漕いで川に向かっていた。川まで行くには車の通りが多い道路を走り抜け、田んぼのあぜ道に差し掛かる。両脇に用水路、がたがたの路面を慎重に進まなければならなかった。
入部したての頃は、端が見えないほどの田んぼに囲まれて、同じ景色が繰り返され、どう川に向かえばよいかわからず数十分迷子になったこともあった。何回も何日もぎこぎこと自転車を進めているうちに、知らない小道や小川にまたぐ名前のない細い橋を渡るルートを偶然見つけて艇庫にたどりついた。それ以来、私はその道を使うようになった。誰にも知られていないそのルートは近道というより秘密の抜け道であった。
梅雨が明けて気温が高くなるとともに、練習の開始時間も早くなり、ついには朝6時に。家族はまだ寝ていて薄暗い部屋の中であまり音を立てずに一人支度をしてそっと玄関を開けた。少しだけ涼しい風が頬をかすめる。けれど田んぼへ出るとむせかえるほどの熱気や湿気が私にまとわりついてきた。汗をかいて息を切らしそうになりながら進みやっと艇庫の前にたどり着き、鏡のような水面に艇を浮かべて漕ぎだす。風の音、鳥の声やオールが水を掻き、艇の先端が水面を切り裂く音を一粒もこぼさないように全身で受け止めてただひたすらに漕ぐ。
やがて練習が終わり、照り付ける日差しを全身に浴びながらだらだらと自転車を漕いで家に帰る。
今こうして書き起こすと、自分自身の体験ではなく、他人の話を書いているような気持ちになる。でもたぶん、それでいいのだと思う。
細田守監督の映画「時をかける少女」が好きで実家に帰ったら何回か見ていたのですが、原作はどんなものなんだろうと思い、つい先日、筒井康隆の「時をかける少女」を読みました。本作は昭和51年に初版が発行されましたが、時代のギャップを感じさせないようなSFと青春の内容で、男女どちらも引き付ける内容でおすすめです。文庫本のタイトルはそれのままなのですが、ページ数は110ページ程と意外とあっさりで、他にも短編2つほど収録されているので、まだ未読で気になっている方はぜひ読んでみてください。
上の文ですがあれは、私が書いた原文をchat gptに筒井康隆風に加筆して作成させたものです。読んでも大して感情の起伏が起きない文が、AIによってこんなにも日常の中の異質さや静寂、記憶のゆらぎを表現できるのは本当にすごいと感じます。同時に、原文がAIの加筆と修正により自分自身の体験描写に近づいているのは間違いないのですが、文中に書いてあるように、本当に他人の記憶を覗いているような違和感も感じます。
このブログを見ている方は、現役部員でしょうか?それともOB・OGの方や全く面識が無い方でしょうか?どなたであっても上の文章を読んで、少しでも懐かしい気持ちになってくれたらうれしいです。
以下、まったく関係のない追記
現役部員の皆さん。特に一年生。なんであんなにエルゴを漕げるのでしょうか。すごすぎる。そして現役の2,3年生は直近の東日本選手権頑張ってください。練習している姿がかっこよすぎる。
終わり
4年 大朏