早いもので気が付けば11月も折り返しである。入学式を終え、「大学生活は真っ当な人間として見られるように努力しよう」と心に固い決意を抱いたあの夜。引っ越しの準備で同行していた母が帰札し、初めて真に一人のワンルームで天井を見上げた日がつい昨日のことのように感じる。「年をとると時間の流れがより早く感じるようになる」とは単なる俗説ではなく科学的な実証までされた定説であるが(フランスの哲学者・心理学者であるポール・ジャネが提唱したことに由来し「ジャネーの法則」と呼称されるらしい)、どうやら一瞬で過ぎ去った自分の半年は法則という明瞭な言葉で定義づけてしまえるようだ。
この法則によれば、人間は新鮮な経験をしたり新たな環境に身を置くことで体感的な時間の速さをゆっくりにすることができるという。その観点で振り返ってみるならば、大学に入学してからの期間において「忘れられない時間」は去年よりも増えた気がする。そうはいっても受験勉強に追われ、学校と勉強場所の往復で時間が過ぎていった去年の今頃と比較するならばそれも必然と言えるだろうか。そういった時間が良くも悪くも焼き付いて消えない、永遠にも思える時間として心に残っていることを考えると、あながちこの説は間違いではないのかもしれない。
※高校時代の知り合いの方、もしこのブログを読んでいたら「あんた去年受験勉強頑張ってなかったじゃん」みたいな野暮な突っ込みをするのはやめてください。心に来ます。
ときに、本筋に一切関係のない話題ではあるがここで触れたい話題がちょうどいま心をよぎったので書かないわけにはいくまい。自分自身ここまでボート部のブログを3本(もしかすると2本かもしれない。間違っていたら指摘お願いします)執筆してきたわけだが、前回の執筆から2か月経過してしまったことあってなんとブログにおける自らの一人称を失念してしまった。自分自身のとんでもない失態に茫然自失、読者諸氏は抱腹絶倒といったところだろうが、場面や状況、果ては心の持ちようなどあらゆる要因によって一人称を使い分ける自分自身の性が、ここで裏目に出てしまったといったところだろうか。さながらカスミのコイントスである。何の喩えをしているんだろう。
とはいえ、忘れてしまったものは仕方がない。今更過去のブログを見返す気力もない。何より今はテスト期間なのだ。真人間になると決意した自分は勉強をしなければならない。真人間がテスト期間中に持ち番でもないブログを書いていることの是非について問い質したい読者諸氏もいることだろうが、何はともあれ「めんどくさい」に理由をつけて文明を発展させてきた(であろう)人類の叡智に倣い、この記事ではあえて過去記事との整合性を確認することなく「自分」という一人称を用いて執筆を続けたいと思う。ヤマの当たりハズレは記事の掲載後に判明するだろう。もしも外れていたら、どうか盛大に笑ってやってほしい。これもまた一つの努力の形なのだ…多分。
さて、この11月からボート部の新年度が始まり、体制ややり方にいくつか刷新された点があった。そういう節目を迎えたということもあるが、いずれにしろここ数か月の間に自分自身にいくつか印象的な出来事があったので、旧年度の振り返りも含めてここに書き記しておこうと思う。
ひとつめ。新人戦でマネージャーとしてワンオペ業務をした。新人戦に帯同したマネージャーは3人。但し宿泊先が二箇所に分かれており、女子はマネ含め片方に固まっていたため、必然的に少人数側のマネージャーは自分ひとりであった。朝は漕手より早く起きて食事の調理は勿論、買い出し、宿泊・食事料金の徴収、もう一方の宿泊先との情報交換、出艇、帰艇の補助…ひと仕事終わったと思ったら次の仕事が入ってくる4日間。一年生マネージャーにワンオペでやらせる業務量ですかね?正直、過労で倒れるかと思った。そういった体制について色々言いたいことはあるのだが、この場で書いてもよくないし、主将や総務には既に大体言ってあるので省略する。この場で言えることは二つだけ。
風邪でダウンした結果とはいえ色々助けてくれたAくん、自分に振られた総務の仕事を一部肩代わりしてくれたSくん。本当にありがとう。他の宿泊メンバーも、競技のない時間中は色々と助けてくれたし、アドバイスもくれた。感謝してもしきれない。きっと彼らの協力がなければ、体と精神をぶっ壊していたと思う。でもAくん、恐らく君から伝染った風邪が悪化して打上げとカラオケに参加できなかったことはしばらく忘れないからな。
それと料理中、会話に付き合ってくださった大阪公立工業大のマネージャーさん。多分このブログは見ていないと思いますが、色々雑談できて気分が紛れました。とても楽しかったです。ありがとうございました。
そしてこの内容の〆に。きっと一か月以上経った今だから言える感想だろうが、なんだかんだでとても楽しかった。普通の人ではまず間違いなく体験できないような、厳しくて苦しい、でもとても有意義な4日間だった。こんな馬鹿げたワンオペ業務、もう二度と起こってほしくないし後輩にも絶対に経験してほしくないが、自分にとって本当に貴重で、成長につながる遠征だったのは間違いない。
ふたつめ。漕手に転向した。厳密にいえば「転向」というより「復帰」の方が正しいだろうか。ただ離脱前は1週間くらいしか練習していないので実質的には「転向」と言って差し支えないだろう。そういうわけで、先輩方が「地獄」と口を揃える冬トレにも基本的に漕手として参加することになる(とはいえ、現時点でマネージャーの人数が不足しているので必要時はマネとして活動することにはなるのだが)。早速エルゴや体幹を漕手に混じって行っているが、すぐにバテるしタイムも出ない。皆が当たり前のようにあのメニューをこなしていると考えるとひっくり返りそうである。しかしマネをやるからには漕手の苦労も知らなければならない。無論逆もまた然りなのだ。漕手・マネ双方の気持ちがわかる貴重なタイプの部員になろう、そう心に誓いをたて、親友の顔を思い浮かべながら細身の身体でギッコギッコとエルゴを引いている。春が来て乗艇練習が出来るころには、このひょろい体もせめて細マッチョ程度にはなっているのだろうか。…ならないだろうなぁ。
みっつめ。広報の役職を引き受けさせてもらった。インスタをはじめとして、ボート部の各種SNSを一手に運営されている山田先輩の下につき、色々好き勝手にアイデアを出させてもらったりしている。尊敬する先輩に前回の記事で「頼れる後輩」などと書いていただいたことが畏れ多い限りではあるのだが、先輩の期待を裏切ることがないよう、そしていい意味で皆の予想を裏切ることができるよう、現段階で行われている範疇に留まらない様々な活動を展開していけたらと考えている。…とはいえ、部員向けのプレゼン用に変な動画を作ってる印象が現時点では強いんだろうなあ…と思ったりもする。自分が楽しいから変に思われてもいいのだけれど。
「究極のオールラウンダーになる」。四か月前、自分が最初に書いたブログでそう誓った記憶は、朧気ながら今もしっかりと心の中にしまわれている。あのときの自分は、今の自分をどう評価するだろうか。悩み苦しみ試行錯誤しながら、曲がりなりにも自分を貫いて生きる。当時の、否、義務教育を終えたすべての瞬間の自分にとって、それが「目指すに値する」人としての姿だった。
「初心を貫くには、普通の人の二倍も三倍も頑張らなければならぬ。」
北極探検を志したが先人に踏破されると南極探検に照準をあわせ、日本の極地探検活動の先駆者として南極調査船にその名を遺す白瀬矗はそう喝破したという。今の自分が「究極のオールラウンダー」という初心を貫くために二倍も三倍も頑張っているかどうか、正直に言うと自信がない。だからこそ、やりたいこと、やらなければならないと思ったことを、失敗を恐れずにやる。そういう風にもがく自分が、これまでの自分にとって「目指すに値する」、憧れられる背中を見せられるようになる日まで、歩みを止める気はさらさらない。
了
