織田信長の

比叡山延暦寺焼き討ちに関して

(女性子供全員処刑の真相等)

(織田信長16)

※今回は、私見・個人的見解のブログ
※今回は、戦国時代の比叡山延暦寺の話

※今回のブログは、現在の話ではありません
※残虐行為の記載があり閲覧注意

※性暴力の記載もあるため、閲覧注意

【投稿日 令和8年5月16日】

 

 

1 はじめに

(1)今回のブログ及び私見

 以前大問題になり地上波テレビでも何度も取り上げられた大疑惑フジテレビ女子アナ上納疑惑(力のある有力な男性タレントが上納された女子アナをお持ち帰りして性暴行した疑惑)について、仮に事実であれば、戦国時代の比叡山延暦寺の腐敗状況(戦国時代の比叡山延暦寺は女人禁制なのに、悪僧が戒律に違反して女性を延暦寺で性暴力)とよく似ていると思いました。

 戦国時代の比叡山延暦寺は元亀2年(1571年)9月に織田信長によって全て焼き払われることになります。比叡山延暦寺焼き討ちは信長の残虐行為のひとつに数えられ「信長は残虐だ」で話が終わることも多いのですが、ASD(自閉症スペクトラム障害≒アスペルガー症候群)について理解していないと、信長による比叡山延暦寺焼き討ちの本当の姿(特に女性と子供を全員処刑した真相)が分からないのではないかと思います。

 今回は、比叡山延暦寺焼き討ちに関して、ASD・アスペルガーの視点から分析しようと思います。そして、この焼き討ちで信長が女性や子供も全員処刑した真相にも迫ってみようと思います

 

(2)参考 比叡山延暦寺入口

 令和時代に入ってから撮影した比叡山延暦寺入り口の険しい石段の階段を参考までに掲載します。

※令和6年4月11日に自分で撮影した、比叡山延暦寺に通じるの入り口。ただし、令和6年現在では、比叡山延暦寺に行く場合、(中には階段や山道を登る人もいるかもしれませんが)この近くにあるケーブルカーを使用するのが一般的。

※1571年の比叡山延暦寺焼き討ちの際には、重い武具を着用して重たい武器を持って走ってこの階段?や山道等を駆け上がって行ったと考えられる

 

 

(3)参考

 参考までに、戦国時代の比叡山延暦寺は、表向きは女人禁制で男性しかいないこととなっていました。

 

 

 

2 太田牛一著『信長公記』の該当箇所を引用

 織田信長に関する一次史料である太田牛一著『信長公記』において、比叡山延暦寺焼き討ちについてどのように書かれているか示す必要があると思いますので、該当箇所を引用します。

<元亀元年9月>

<引用>

※引用元:『信長公記』卷3(太田牛一著)(角川文庫)

※元亀元年9月の、信長が比叡山延暦寺と交渉する場面

※赤線⇒戦国時代の比叡山延暦寺の悪逆について記載

※現代語訳は次の通り

👇

<引用>

※引用元:『現代語訳 信長公記』卷3(太田牛一著)(ちくま学芸文庫)

※現代語訳を正確にお伝えする為

 

 ギザギザ

<元亀2年9月 比叡山延暦寺焼き討ち決行>

<引用>

 

※引用元:『信長公記』卷4(太田牛一著)(角川文庫)

※比叡山延暦寺焼き討ちの場面

※赤線⇒戦国時代の比叡山延暦寺の戒律違反や悪行についての記載で、比叡山延暦寺の悪僧が「天道の憤りも恐れず、戒を破り淫乱を好み、なまぐさい魚や鳥を食べ、金銀の欲にふけって」いる旨記載

※緑線⇒一つ目の緑線は比叡山延暦寺に対する信長の怒りについての記載、二つ目の緑線は比叡山延暦寺焼き討ちを決行して長年の怨みを晴らせた旨記載

※青線⇒比叡山延暦寺焼き討ちの現場で男性僧侶が捕縛され信長の前に連行され処刑される場面

※紫線⇒比叡山延暦寺焼き討ちの現場で、女性や子供が捕縛され信長の前に連行される場面及び連行された女性の多くが信長に「悪僧は首をはねられても仕方がありません。わたくしどもはお許しください」と口々に哀願する場面及び女性や子供も処刑される場面

※被害者は数千人(オレンジ線)

※明智十兵衛⇒明智光秀のこと

※現代語訳は次の通り

👇

<引用>

※引用元:『現代語訳 信長公記』卷4(太田牛一著)(ちくま学芸文庫)

※現代語訳を正確にお伝えする為引用

 

 

 

 

 

3 織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちに関する結論詳細(私見)

 上記の引用史料及びASDの視点からの結論を詳細に記載します。(私見)

【(1)織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした理由】

①比叡山延暦寺が信長の警告を無視して朝倉・浅井側についた(通説でも言われている)

②戦国時代の比叡山延暦寺は女人禁制なのに、悪僧が延暦寺に女性を呼び入れて性暴行するなどの戒律違反や悪行が横行していることについて、信長がアスペルガー特有の激しい怒りを覚えた(推定、私見)(悪僧が淫乱を好む⇒下記参照)

 

【(2)織田信長の事前準備、マニュアル】

    比叡山延暦寺焼き討ち当日の僧侶の処刑場面から、信長は比叡山延暦寺焼き討ちのための事前準備を入念に行ったと考えられる。具体的には次のとおり

①信長は比叡山延暦寺の山門の僧衆10人を呼び出し「信長に忠勤を励むなら(信長側につくなら)、信長領内の山門領を延暦寺に返還する」旨を申し出て信長の朱印を押印した文書を渡したうえで、「出家の身で一方への陣へのみ肩入れできないならば、中立を保って欲しい」と説得(強く要請?)した。そして朝倉・浅井側についた場合は根本中堂・山王二十一社・堂塔等全て焼き払い、一山ことごとくを焼き払う旨強く警告した(元亀元年9月)(太田牛一著『信長公記』参照)

②①の警告とほぼ同時に、比叡山延暦寺に関する調査を開始し、軍の進軍ルート等だけでなく、比叡山延暦寺に在籍している全ての僧侶・学僧・上人・児童等について詳細に調査した。この調査は1年?ほどかけて入念に実施したと考えられる(太田牛一著『信長公記』には、元亀2年9月の比叡山延暦寺焼き討ちで僧侶を処刑する際、「これは叡山でも知られた高僧」等と報告する場面が記載されているため)

③②の調査を進めるうちに、比叡山延暦寺は女人禁制なのに、男性悪僧が女性を延暦寺に呼び入れ、女性に性暴力を加えたり女性を妊娠させて出産させたりしていることが判明した(これらの女性の中には、悪僧がお持ち帰り?したり誰かが延暦寺に上納?したり身売り?で延暦寺に入ったりした女性もいたかも?)(焼き討ち当日、多くの女性と子供がつかまったことから推定)。また、比叡山延暦寺僧侶が、戒律で禁止されているのに魚や鳥を食べたりしていること等も判明した。つまり比叡山延暦寺の戒律違反・悪行が明らかになった。(なお、太田牛一著『信長公記』には、当時の延暦寺について、「日常の行儀も仏道修行の作法も省みず、天下の笑いものになっているのも恥と思わず」「戒を破り婬乱(淫乱?)を好み、なまぐさい魚や鳥を食べ、金銀の欲にふけって(中略)勝手な振る舞いに及んでいた」旨等記載されている)(「悪僧が淫乱を好む」は「悪僧が女性を性暴行」の意味としか考えられない)(推定)

④③により、女性への性暴力等の戒律違反を行う比叡山延暦寺に信長はアスペルガー特有の激しい怒りを覚える(推定)

⑤④により、比叡山延暦寺男性僧侶(高僧、学僧、上人、児童、修行僧、僧兵等含む男性僧侶)については全員処刑することを決定(比叡山延暦寺の戒律違反や悪行で信長がアスペ特有の激しい怒りを覚えたため、と推定)。ただし、女性及び子供(別記参照)については処刑しない旨決定?(推定)(別記池上氏の著書によると、信長は一般人の評価を非常に気にする傾向がある、とのことであり、また信長は障害者に優しくしたことからこのように推定)。

⑤比叡山延暦寺焼き討ちマニュアルを信長の頭の中で組み立てる(桶狭間の時と同じ)(推定)

⑥②の調査が完了し、事前準備が全て整い、⑤のマニュアルを信長の頭の中で完成させた時点で比叡山延暦寺焼き討ちを決行(推定)

 

【(3)織田信長が比叡山延暦寺焼き討ちで行ったこと等】

①元亀2年(1571年)9月、信長は比叡山延暦寺焼き討ちを決行。根本中堂(延暦寺本堂)や山王二十一社(日吉大社等)等全ての建物を焼き払い、霊仏・霊社・僧坊・経巻なども全て焼き払った(仏像や貴重な文化財も全て焼失)。

②現場で、男性僧侶(僧俗、児童、学僧、上人等)については全員捕縛して信長の前に連行し、「これは叡山でも知られた高僧・貴僧・学僧」等と詳しく信長に報告しながら首をはねる方法で処刑(太田牛一著『信長公記』参照)(この時、細かい経歴や事績等を発表しながら処刑を実施?)

②多くの女性・小童(子供)も次々と捕縛されて信長の元に連行されるが、この時点では処刑しようとはしなかった?(推定)

③連行された女性の多くが信長に「悪僧は首をはねられても仕方がありません。わたくしどもはお許しください(「自分は悪くない。悪いのは悪僧」の意味と考えられる)」と口々に哀願した。この哀願は信長のアスペルガー特有の正義感に反する発言で信長にとって最も許せない発言だったため(信長は「自分は悪くないと言って人のせいにする人」等が大嫌い⇒別記参照)、信長はアスペルガー特有の癇癪やパニックを起こして激しく激怒した。これにより信長は、(ASD特有の癇癪やパニックや怒りで正気を失い?、ASDの子供が癇癪で物を破壊するような感覚で?)捕縛された多くの女性・子供を全員処刑してしまった。

⇒比叡山延暦寺焼き討ちで処刑された子供は、何らかの事情で延暦寺に預けられたり修行のため延暦寺に在籍していた児童だけでなく、比叡山延暦寺悪僧の性暴行で生まれた子供も含んでいると思われる(推定)

 

 

ギザギザ

【参考、私見】織田信長は、「自分は悪くないと言って人のせいにする人」等が大嫌いであったと考えられます(信長のアスペ特有の正義感と考えられる)。このことは、佐久間信盛の件について記載した私の織田信長関係の#㋐49のブログにも記載しています。

 

 

※参考までに、織田信長が障害者に優しかった件については、次のブログに記載

 

 

 

 

 

4 まとめ(私見)

 信長は1年ほどかけて全僧侶のことを完璧に調べ上げたうえで比叡山延暦寺焼き討ちを断行、建物や貴重な文化財すべてを焼き尽くし、男性僧侶は当初の予定通り、「叡山でも知られた高僧」等と一人づつ信長に報告された後、全員処刑。男性悪僧の性暴力にさらされていた女性や性暴力で生まれた子供は当初処刑する予定ではなかったが?、多くの女性が「悪僧は首をはねられても仕方がありません。わたくしどもはお許しください(≒「自分は悪くない。悪いのは悪僧」)と信長が最も嫌う内容の失言をしてしまい、信長はアスペ特有の癇癪やパニックを起こし、女性や子供も全員処刑してしまった。(私見、推定)

👇

つまり、信長が最も嫌う発言を、(ASDについて理解していない)女性が現場でしてしまったため、信長は女性と子供全員処刑した、と考えられる(私見、推定)

 

 

 

5 参考 その他

<参考>戦国時代の比叡山延暦寺の状況に関しては、他の方の動画ですが、次の動画も参照

 

 

 

 

 

<参考>

<引用>

※ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

 

<引用>

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

 

 

 

 

<参考文献>

・『織田信長』(池上裕子著)(人物業書)

・『信長公記』(太田牛一著)(角川文庫)

・『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、榊山潤訳)(ちくま学芸文庫)

・ウイキペディア

・『完訳フロイス日本史2・3』

 (ルイスフロイス 松田毅一・川崎桃太郎訳)(中公文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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