昭和59年(1984年)6月頃
山陰本線旧型客車のうち
福知山発京都行き普通客車列車である838レ
及び昭和60年1月頃早朝の京都駅
及び838レから833レに変わる場面等
(及び京都発浜田行き普通客車列車の833レ等)
(昭59.2福13等運用)
(&過去ブログ修正90)
【投稿日 令和6年4月10日】
【修正 令和6年6月1日】
1 はじめに
(1)当時の運用形態
昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前の山陰本線京都口旧型客車について、820レや835レ等に関する運用(#454等参照)以外にも2つの運用形態がありました。そのうちのひとつが、運用番号が福13の車両等の運用で、詳細は下記の通りでした。
(2)昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正前山陰本線「838レ→833レ→544レ」の運用(昭59.2福13運用)
昭和59年(1984年)2月〜昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正前の、運用番号が福13である旧型客車(通常は4両、増結される場合あり)は、下記の通り、「838列車(838レ)→833列車(833レ)→544列車(544レ)」の順で運用されていました。(当ブログではこれを「昭59.2福13等運用」等の名称で呼ぶことあり。これは当ブログ独自用語)
昭和59年2月ダイヤ改正
~昭和60年3月ダイヤ改正前
山陰本線「838レ→833レ→544レ」
<運用番号が福13の旧型客車の運用>
(昭59.2福13等運用)
<運用番号が福13の旧型客車の運用>
①838レは「旧型客車の座席車4両(福13)+郵便車1両(米郵1)」。838レ(福知山発京都行き普通客車列車)は夜の19時51分に福知山駅を発車し22時15分に京都駅に到着。
②①の後、梅小路方面等に回送、一晩留置。(郵便車1両は山陰2番線側留置線に回送)
③②の後、前日の838レの座席車(福13の旧型客車)については早朝の所定の時刻に京都駅山陰1番ホームに入線し833レ(京都発浜田行き普通客車列車、旧型客車)となる。(前日の838レの下り側に連結されていた郵便車は所定の時刻まで荷物車とともに山陰2番線側留置線に留置され、326レが京都駅に到着後、326レの下り側に連結され835レとなる)
④833レは朝の5時25分に京都駅を発車、夜の21時35分に浜田駅に到着。
⑤④の後、浜田駅?にて一晩留置。(米郵1の郵便車1両が福13の旧型客車の下り側に連結されるタイミングについては不明)
⑥⑤の後、544レ(浜田発福知山行き普通客車列車)となり朝の6時30分に浜田駅を発車、夜の19時34分に福知山駅に到着。なお、544レは「旧型客車の座席車4両(福13)+郵便車1両(米郵1)」
※『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)及び『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)にて確認。
※運用番号が福13の旧型客車は、通常は座席車4両(増結される場合あり)
※838レには、郵便車1両(米郵1)が下り側に連結
※833レは座席車(福13の旧型客車)のみ⇒通常は4両であるが増結される場合あり
※544レには郵便車1両(米郵1)が下り側に連結
※郵便車等の動きは記載省略
※福13は「福フチ」(福知山客貨車区、福知山機関区)
※米郵1は「米イモ」(出雲客貨車区)
※「昭59.2福13等運用」は当ブログ独自用語
※上記の544レは、昭和57年頃は、多くの方が旧Twitterやブログ等で述べておられる通り東舞鶴行きでした。しかし、昭和59年時点では福知山行きになっています。(当時の時刻表にて確認)
(3)今回のブログでは
今回は、上記で記載した列車のうち838レについて記載したうえで、改めて当時の早朝の京都駅山陰ホームの状況を記載し、併せて当時の早朝の京都駅山陰1番ホームに停車中の833レについて少し記載しようと思います。そして、833レが浜田駅に到着した後のことについても分かる範囲で記載しようと思います。
<参考>
※昭和54年12月体制及び昭和59年2月体制(概要)(私見)⇒#347、#365、#449、#451等のブログにて記載しているため、今回は省略します。
※山陰本線京都口旧型客車最終日(再掲) 昭和60年3月ダイヤ改正が昭和60年(1985年)3月14日に実施されたため、山陰本線京都口における旧型客車最終日は昭和60年3月13日になります。旧型客車廃止時期に関する詳細は、#347等のブログをご参照ください。
2 当時の838列車(838レ)について
(1)両数等
※昭和59年2月〜昭和60年3月ダイヤ改正前の838列車(838レ)の両数は、『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)や『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)によると、旧型客車の座席車4両で下り側に郵便車1両連結(旧型客車の座席車の運用番号は福13、郵便車の運用番号は米郵1、座席車については増結される場合あり)。
※838レの編成(車番なし)については次の通り
※郵便車や荷物車等については次のことについてもご参照ください。
<参考>(一部再掲)
・835レに最終日まで連結されていた「郵便車+荷物車」は、早朝は京都駅山陰2番線側留置線(奥の方?)に留置。このうち郵便車は、前日の838レの下り側に連結されて京都駅まで運行された車両。その勇姿は下記4にて記載の通り。
※昭和59年2月〜昭和60年3月ダイヤ改正前⇒山陰本線の上りの旧型客車で「郵便車+荷物車」が連結されているのは720レ、とのこと。(「1980年代の旧型客車編成記録」(倶楽部メモ:客車倶楽部過去ロク集のHP)参照⇒URLは別記)
(2)各駅発車時刻一覧
事情により昭和59年6月と記載した各駅発車時刻一覧を掲載します。
3 838レから833レへ
838列車(838レ)が京都駅に到着後梅小路に回送され一晩留置の後(郵便車は切り離され山陰2番線側留置線に回送)、早朝の京都駅山陰1番ホームに入線し833列車(833レ)となります。早朝の京都駅山陰ホームは下記4をご参照ください。また、833レについては下記5をご参照ください。。
4 当時の早朝の京都駅山陰ホーム
昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前の時期の、京都駅山陰ホーム(早朝)の状況は次の通りです。
(1)早朝の京都駅に到着直後の上り山陰号
(6.3UP)
(2)上り山陰号(回送前)と留置中の「郵便車+荷物車」
回送前の上り山陰号と留置中の「郵便車+荷物車」の車両が写っている、早朝の京都駅山陰2番ホームの写真を再度引用します。
(6.2UP)
(3)早朝の京都駅に停車中の833レについて
当時の早朝の京都駅山陰1番ホームに停車中の、京都発浜田行き普通客車列車(旧型客車)である833列車(833レ)の写真については、下記5にて引用の通り。
5 当時の833列車(833レ)について
(1)両数等(R6.6.1修正)
昭和59年2月〜昭和60年3月ダイヤ改正前の、京都発浜田行き普通客車列車である833レの両数は、『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)や『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)によると、旧型客車の座席車4両(運用番号は福13、増結される場合あり)で、郵便車や荷物車は連結されていませんでした。その編成は下記#469のブログをご参照ください。
※参考までに、下記「1980年代の客車編成記録」(客車倶楽部氏のHP)には、昭和59年2月12日(昭59.2~昭60.3ダ改前の時期に該当)の833レの編成(車番付き)が記載。
(2)当時の山陰本線833レの勇姿(R6.6.1修正)
① 早朝の京都駅(昭和60年正月三が日)
(6.2UP)
②保津峡等(R6.6.1修正)
※「3-3 旧型客車(山陰) 1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記さんのHP)にも掲載されています。そのURLは次の通り
【「3-3 旧型客車(山陰) 1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記さんのHP)】
※また、私の#469のブログにもこの写真を引用しています。
③倉吉駅
旅一郎氏のYouTube動画「昭和60年3月ダイヤ改正前日」等に掲載されていますので、ご参照ください。
(3)各駅発車時刻一覧等 #469のブログにて掲載(R6.6.1修正)
(4)833レの浜田駅到着後の動き(833レから544レに変わる場面)
下記5をご参照ください。
<参考>
<参考 833レの荷物車等について>(R6.5.31修正)
上記で記載の鉄道雑誌やHP等で確認すると、昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前の時期の山陰本線833レには郵便車や荷物車は連結されていませんでしたが、昭和59年(1984年)1月?以前については連結されていました。詳細は次のXのポスト(旧ツイート)をご参照ください。
<引用>
【1984年2月~1985年3月の場合】
— Toshinori.Saito2(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) March 10, 2024
1984年2月~1985年3月ダ改前の場合、京都発浜田行き普通客車列車(旧型客車)である833レは座席車のみで両数は4両(増結される場合あり)、とのこと(当時の鉄道雑誌等による)(1984年1月?以前については、次の引用元ツイートの通り、郵便車や荷物車が連結) https://t.co/cafgeDUXWF※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用
<引用>
【1984年1月?以前の833レ(京都発浜田行き普通客車列車、旧型客車)】
— Toshinori.Saito2(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) March 10, 2024
※編成は「座席車4両+荷物車2両+郵便車1両+DD51」(荷物車等は浜田側に連結)。荷物車のうち1両は福知山で切り離し、郵便車1両も出雲市で切り離し、浜田まで行く荷物車は1両。(他の方のツイートにて確認)※ツイートのリンクをコピーの方法で引用
6 833レから544レに変わる場面
当時(昭59.2~昭60.3ダ改前)の833列車(833レ)は、京都を早朝の5時25分に発車し、終点の浜田には夜の21時35分に到着するダイヤで、浜田に到着した後は一晩留置の後、544列車(544レ)となりました(当時の時刻表(1984年6月号)等による、留置場所不明)。544レについては下記をご参照ください。なお、再び郵便車1両(米郵1)が下り側に連結されますが、そのタイミングについては不明(833レが米子駅?もしくは出雲市駅?に到着した際に連結された疑惑があるが、真相は不明)。(R6.6.1修正)
7 当時の544列車(544レ)について
(1)両数等
※昭和59年2月〜昭和60年3月ダイヤ改正前の544列車(544レ)は、『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)や『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)によると、「旧型客車の座席車4両(運用番号は福13、増結される場合あり)+郵便車1両(運用番号は米郵1)」で、浜田を朝の6時30分に発車し、福知山に夜の19時34分に到着するダイヤでした(ダイヤは時刻表(1984年6月号)にて確認)。また、編成については次の通り
※544レは、1982年(昭和57年)7月の時刻表で確認すると浜田発東舞鶴行きでしたが、1983年夏号や1984年6月号で確認すると浜田発福知山行きとなっていました。
※昭和59年3月15日(昭59.2〜昭60.3ダ改前に該当)の544列車(544レ)の編成(車番付き)については、「客車列車の編成記録」(別館一般型客車資料室)に記載されています。
(2)勇姿
手元に資料がないため記載省略します。
(3)各駅発車時刻一覧等
事情により記載省略します
8 その他
昭和60年3月ダイヤ改正後の経過等については、#347等のブログにも記載しておりますが、後日、改めてまとめて記載する予定にしています。
なお、昭和61年11月ダイヤ改正後の842レ(今回のブログで取り上げた838レのスジを走行)については、#323等のブログをご参照ください。
9 過去ブログ修正
①上り山陰号について記載した#382のブログに、上記4で引用した京都駅到着直後の上り山陰号の写真を追加引用しました。
②#446のブログに、早朝の京都駅山陰2番線側留置線に留置中の「郵便車+荷物車」(326レが京都駅に到着後下り側に連結され、835レとなる)のうち、郵便車は前日夜の838レの下り側に連結されて京都駅まで運行された郵便車である旨追記しました。
③今回のブログ投稿等により、過去ブログに引用している写真資料について、整理する必要が出てくるかもしれませんが、その場合、必要な整理をする予定にしています。
<参考文献>
・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1982年7月号、1983年夏号、1984年6月号、1985年1月号等)(日本交通公社)
・『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)
・『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)
・『国鉄時代 Vol.73(2023-5月号) 魅惑の国鉄車両』(㈱ネコ・パブリッシング)
・「3-3 旧型客車(山陰) 1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記のHP)
・「1980年代の旧型客車編成記録」(倶楽部メモ:客車倶楽部過去ロク集のHP)
・「客車列車の編成記録」(別館一般型客車資料室)
・『国鉄客車ガイド』(昭和58年7月20日発行)(㈱ジェー・アール・アール)
・『鉄道ピクトリアル』(2007年2月号)(㈱電気車研究会)
・旅一郎氏のYouTube動画「【語り】昭和60年3月ダイヤ改正前日」等
・日本国有鉄道ファン氏のAmebaブログ「1985年正月三が日のいずれか 寝台普通列車<山陰> 京都」
・kumoha54氏等のYouTube動画
・DFアローホームページ
・各種旧Twitter情報
・ウイキペディア
・10th 3rd enpedia「荷物列車」
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