My・LIFE
腎嚢胞という病気がある。腎臓に水泡が出来て炎症、発熱や疲労などの影響があると聞く。悪化した場合は、透析を必要とする深刻さだ。
その病名すら未知であったが、私の身内がこの病に倒れた…。
いや、正確に言い直そう…。
我が推し『峯岸みなみ』がである。
みぃちゃんと表参道の横道で遭遇したのは、今だに記憶に新しい。一緒にいた大島優子と二人で散策中であった。とても元気そうであったのだが、今に思えば、大島優子が示すみぃちゃんへの気遣いはマネージャーめいていて、既に近いメンバー仲間には、自らの体調を訴えていたのか。
みぃちゃんは、まだ二十歳を過ぎたばかりの女性である。青春を謳歌し、仕事に夢を抱くに相応しい年頃だ。
それが、ふとした病に苦しむ。病床にあって、若手が自分を追い越して行く焦りや、嫉妬など堪らないと思う。
そういう時だ。
人は、ある種の悟りを得る。聡明な人物であれば、今後の人生を考えたりする。
そして必ず、良い答えを導きだす…はずだ。彼女には、そうあって欲しいと願う。
病によって全てを捨てても、今日まで積み上げた経験や実績を大事にすれば、取り戻す事は容易いのだ。しかも、経験に勝る若さが彼女にはある。
復帰を果たしたら、もうアイドルという単純さから、深みを目指したアイドル像を追求して欲しいものだ、と切に希望して止まない。
病は何かを奪う。
自分が好きだった事、得意とした事を容易く奪う。
でも、それが人生でもある。辛くて泣きたいのだが、どう生きて行くか。そこが勝負なのだ。
風神雷神
昨日の雷雨。そして豪雨テロ言えるくらいの水量の雨/////…あれほどの凄まじさは記憶にない。
その豪雨の中、半屋外の能舞台で能『半女』シテ浅井文義で上演された。
もちろん薪能であれば、雷鳴が轟いた瞬間に中止である。
半屋外の舞台であるため能は続行可能。
だが、猛烈な風と雨、雷鳴は能を一種異様な空間に演出した。
『班女』という能は遊女花子と吉田某という青年役人の恋だ。そして二人が交わした扇を縁として恋が結ばれる。
花子の思いを描写した詞章に『おうぎとは空言や、あわ(会う)でぞ、恋は添うものを…』と謡うのだが、舞台周辺には『花子』が抱く恋の執心が呼び寄せたような雷鳴と豪雨の響きが空気を支配する。
想定外というのは、まさに…こういう場合に使うべきだ。
直に目の当たりにする悪天候、その横で能を見るという経験は長年に能を見ているベテラン観客でも、そうはあるまい。
まったく別空間の世界が隣接する体験を味わった…という事だ。
しかし、撮影者としては全くの悪条件である。照明と太陽光、雨の幕がホリゾン効果をもたらして目まぐるしく変化。ホワイトバランスの瞬時調節も難しい。色温度調節に関する知識を、もう少し勉強せねば…と反省した。
疲労したのか、私は部屋に帰宅するなり床に倒れ込んでサスペンスドラマの死体状態であった。


