イベントやお話会
セッションでも
参加している最中の喜びや
テンションも
気持ちのいいものだけど
終わった後の余韻や振り返りこそ
参加の醍醐味だなぁと思うのです
これは主催の時も
参加者の時も同じ
反省、というのともまた違う
自分自身の振り返り
あの時、心踊ったなぁ
あの言葉は、チクっとしたなぁ
あの時、なんであんな言葉が出たのかなぁ
頭フル回転で考える、というよりは
ぼんやりぼんやり、
感じ直すという感じかなぁ
うん、味わい直し
誰が何を言ったか
ではなく
私がどう感じたか
そこから考えが
深まったりするんだ
ヤミの中にいる時
深い深い場所にいるようで
呼吸が苦しかったり
もがくことしか
出来なかったりするけれど
ヒョコっと顔をあげると
実は水面はすぐ近くで
トタンに息がしやすくなったりする
足、ついてました!とか
洗面器に顔突っ込んでるだけでした!とかね
だけど
その「顔をあげる」のが
怖いんだよね
「顔をあげる」と決めるのが
怖いんだよね
このまま
苦しいままでいた方が
楽なんじゃないか?
って思っちゃうんだよね
周りが「顔あげなよっ!」
っていくら言っても
本人が
「顔をあげよう!」
と決めないとあがらないの
無理にあげても
絶対に戻すから
苦しい方に
周りの人ができることって
「顔をあげる気にさせること」
くらいなんだよなぁ
「顔をあげると楽だよ」という
世界を見せることくらいなんだよなぁ
でね、思ったの
「怖い」ってサインだって
自分にとって
いい方向に行く
サインだって
だってさ、
通い慣れた道は
「怖い」とは思わないし
毎日当たり前に
やってることは
「怖い」とは思わない
自分が望まない道もまた
「怖い」とは思わない
自分からかけ離れた道も
リアルに「怖い」とは
思わない
そう考えると
「怖い」には
「気になる」
「本当はそうしたい」
「頑張れば届きそう」
「自分にはできそう」
そんな想いが
含まれるんじゃないのかな
だからね、
「怖い」はサイン
「怖い」を連れて行くのか
「怖い」を乗り越えて行くのか
「怖い」を変化させるのか
そこは選べるよね
合わせ技もできるかな
「怖い」を認めて
口に出してみるだけでも
変化は起こるんだよね
うん、
「怖い」との
付き合い方が変わりそうだ
『 ”怖い”はサイン
”怖い”はチャンス
”怖い”は道しるべ 』
※この記事は以前ぬー通信で
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