今日はひねくれた、素直じゃない
あまのじゃくな、愛すべき私の
お話です。
息子や娘の誕生日を機に、
自分の誕生日観を振り返ってみました
私、4月生まれなので、
大体誕生日は春休み中だったのです
だから、クラスで「おめでとー!」
とか、あまり経験しなかったんです
でもさ、友達はするじゃない?
その状況見て、いいなぁと思う反面、
自分だったら耐えられないな、と
思っていたのです。
何に耐えられないか、と言うと、
「誕生日だと気付かれなかったとき」
です。
めっちゃ悲しいじゃないですか。
自分がまるで存在していないみたい
じゃないですか。
かと言って自分から「今日誕生日」
って言えなかったんだよなぁ。
そのくせ、
「おめでとう」って言ってくれない
って、拗ねたり怒ったり。
勝手に期待して、
勝手に不機嫌パターンね。
あー、可愛い、と思えない自分。
この「怖さ」や「勝手な期待」
程度の違いはあるにせよ、
今でも持っているんだな、と
気付いたんです。
告知して何も反応がなかったら
誰も私のことなんて覚えてないかも
来るって言ったのに来ないじゃん
・
・
・
それでも、
私の存在が否定されたわけではない
いなかったことになってるのでもない
まして、私を嫌いなわけでもない
事実は・・・
・私の誕生日を知らなかった
・私のことを知らなかった
・告知していることも知らなかった
・予定が合わなかった
それだけ。
だったら、伝えていけばいいだけ。
この「怖さ」や「期待」持っている人
結構いるんじゃないかな。
大人になった私は、
「誕生日おめでとう」は、
朝一番に言ってほしい!と、
ダンナに言えるようになりました笑
「あ、勝手に期待しちゃったな」
と気付けるようになりました
そして勝手に傷ついちゃった自分に
も気付けるようになりました
自分の願望に気付いたら、
言っていいのよ、自分から。
採用されるかは分からないけれど、
認めてもらって自分は喜ぶと思います
私は、家庭の中だけでも
願望を言える環境でありたいな
と思っています。
大木きぬよ(ぬー)
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